なぜ「古いよね」とバカにしていた私がはまってしまったか

私が子供だった昭和30年代は寄席全盛時代。ラジオからしょっちゅう落語が流れてました。

でも私は落語にあんまり興味を持てなかった。洋風のものへの憧れが強く、日本の古いものに背を向けてたんですよ。テレビも映画も音楽も洋もの(特にアメリカのもの)が好きでした。落語なんて「古いよね」みたいな感じで、なんとなくバカにしていました。

それが30代の頃になると、落語人気は見る影もなく凋落していたので、ここで凝るのはかえって渋いかもって気がしたのかな。時どき落語のレコードを買って聴いてはいた。

本気で落語を聴こうと思ったのは1985年。TBSで放送されていた「落語研究会」を見てたら、古今亭志ん朝さんが「文七元結(ぶんしちもっとい)」をやっていてガーン! という衝撃を受けた。聴き終わったら、笑いと涙で顔がくしゃくしゃになって、録画していたビデオをすぐ見返しましたね。猛烈に感動して、テレビに向かって拍手したぐらい。そこで急に「落語って宝の山かも」と思えて、本格的に聴いてみようと決めたんです。

早速、次の日に銀座の山野楽器に駆けつけて、落語のCDを2枚買ったんです。違うな。その頃はまだカセットテープだった(笑)。

まず私が立てた計画は、先代の桂文楽さんから落語を攻略すること。当時は文楽と志ん生が二大名人と呼ばれていて、ルーズな芸の志ん生さんに対して、文楽さんはきちっとした芸風ということくらいは知っていたんですよ。だったら最初に聴くのは崩していない正調の芸がいいな、と。

また、そう多くはない数の噺はなしをじっくりと練り上げていくスタイルだったことも、文楽さんを選んだ理由のひとつ。その頃、テープに収録されていた演目は全部で30ぐらいだったんじゃないかな。だったらテープ1本に2つか3つぐらい噺が入ってるから、十数本聴けばどんな噺があるのか、どの演目がスタンダードナンバーなのか、落語の世界が手っ取り早く見えてくるだろうと考えたんです。

結局、文楽さんのカセットを2本買って帰ったところ、これが面白くて一晩で聴いちゃった。すると次の日には、麻薬が切れたみたいになって、また新しいテープを買いに走る。大体1日おきに通ってましたね。そうやって文楽さんのテープを全部聴き終わる頃には、他の噺家さんにも手をのばして、ぐっと若い世代の志ん朝さんに入っていったんです。その頃には、「寝床」とか「子別れ」とか、名前だけは知っていても落語の世界の中で、どのへんに位置する演目なのか見当もつかなかった噺が、だんだんわかってきた。

もともと私はデイモン・ラニアンやウッドハウスのような英米のユーモア小説が好きだったので、そうした笑いに対する興味が、落語へと結びついた感じがしますね。あとで考えれば、落語に出会うためにいろんなところを回り道してたのかもしれない。自分なりにいろんなものを見たり体験して感じたことが、落語に集約されたんじゃないかな。

もっと若い頃から落語を聴いてればなあ、という後悔はありました。でも落語と出会うまでの歳月が必要だった気がする。そういう意味では、落語にはその人ごとの「聴きどき」があるのかもしれませんね。

それから落語を聴き続けて24年。20代、30代の頃よりも、歳を重ねてからのほうが、噺がぐっと心に入ってくるようになりました。というのも、若い頃はもっと人間に対して期待してた気がする(笑)。若い頃って理想が高く、人間の愚かさが許せないじゃないですか。それが歳を取るにつれて、自分を含めて人間はどうしてこうバカなんだろうと、その情けなさを受け入れられるようになった。

こうして人間に対する見方が変わってから、落語が一層面白くなった。だって落語なんて、それこそバカのカタログですよ(笑)。知ったかぶりとか、ケチとか、強欲とか、あらゆるパターンのバカが出ている。だから面白いと思えるんですよ。

人生に躓(つまず)いたとき、落語が気持ちをなぐさめてくれることがあるので、50代まで落語を聴いてこなかった人の中には、今が聴きどきの人がいるかもしれませんね。人生も50代を迎えると、定年、離婚、病気、いろいろあるでしょ。あと貧乏もあったか(笑)。

この貧乏ってのが落語には合うんですよねえ。なんと言っても貧乏は落語の一大テーマですから。バブルの頃だったら落語を聴く気もしなかったかもしれないけれど、今の時代には心地よく響いてくるんじゃないかな。落語を聴いてると、「景気が悪いのもそんなにイヤじゃないな」って気もしてくるんですよ。日本人って羽振りがいい状態よりも、貧乏のほうが落ち着くんじゃないかな。