人生観を揺さぶる金融危機の波乱
1989年12月29日、東京証券取引所の大納会は、かつてない熱気に包まれた。平均株価の終値は3万8915円87銭。周囲の面々が「年明けには4万円だ」と叫ぶ。誰も、それを「異常」とは思わない。ときに46歳。野村証券で、株式売買の頂点に立つ株式部を受け持つ取締役だった。
社内でも、支店巡りでも、常にオーソドックスな相場観を語り、右肩上がりの相場の下で「慎重」とみられていた。「4万円」の声に押されるように、新年の営業体制を指示したが、胸中に何か腑に落ちないものがある。前に秘書としてつかえた社長の教えもあった。「そう、いいことが続くはずもない。何か、予防的な手を打っておく必要があるか」。だが、そんな疑問符は、熱気に飛ばされる。
結果、大納会が最高値となり、あとは急降下。金融引き締めでバブルが崩れ、平均株価は9カ月で2万円近くまで落ちる。正直言って、そこまで下がるとは思わなかった。金融機関に不良債権が膨らみ、ついには大手の銀行や証券会社が破綻する金融危機へ至る。
その間、人生観を左右する出来事に、何度か遭遇した。常務になり、都心を除く関東と静岡、山梨の拠点を受け持つ首都圏本部長だった91年6月。企業などが資金運用を事実上、証券会社に一任する特定金銭信託(営業特金)に巨額の損失が発生。証券会社が内々に穴埋めしていたことを税務当局がつかみ、新聞がすっぱ抜く。
当然、投資家が「われわれが損をしても冷たいくせに、企業には補てんしていたのか」と騒ぐ。となれば、国会も動く。提出された資料によると、補てん額は大手から中小まで21社で計2164億円。社長が国会に呼ばれ、つるし上げられる姿がテレビに流れる。結局、会長と社長が辞任した。