首都圏本部は補てんに無縁だったが、支店にも怒りの声が続く。訪ねると、営業担当の女性たちが涙ぐんでいる。聞けば、苦情にはひたすら頭を下げ、たえることもできる。だが、子どもたちが、学校でいじめられる。自分たちも、バスに乗ると、周囲の人たちが、すっ、と遠ざかる。次々にそう訴えて、みんな、涙があふれた。

地域に密着した仕事をしている人ほど、辛い目に遭った。そんな思いを、2度とさせたくない。では、どうすればいいか。よく、人間は誰でも過ちを犯すが、それは仕方ない。過ちを認めず、改めないことこそが過ちだ、と言う。だが、本当にそうか。とにかく、過ちが出ないようにする、そのためにできることをやり尽くす。それしか、彼女たちや子どもたちを守れない。強く期するものが残る。

厳しい報道が続くなか、社内ルールやコンプライアンス(法令遵守)を監督する業務管理本部長に移り、広報担当常務も兼務する。40代前半に自らの提案で広報室が新設され、初代室長を務めた。社長以下、もっとメディアの取材に応じて、会社の様々な姿を発信しなくてはいけない、遠からず、透明性を求められる時代になる、とも考えた。だから、会社が米国で売った抵当証券が値下がりし、購入した投資家から「説明不足だった」と指摘されたときも、早く事実関係を公表するよう唱えた。だが、「何も、自ら公表することもない」との声が、圧倒する。

その声の大本は、新社長の後ろ盾となり、退任後も力を維持していた前社長。批判めいたことを口にすると、呼ばれた。公表すべきとの主張を強く否定され、決定的な亀裂を生む。新旧社長の親密さを考えれば、余波は想像できた。

翌年6月、グループ企業では最も遠かった一吉証券(現・いちよし証券)へ転出する。だが、いちよしで社長になると、かつて目の当たりにした営業の女性たちの涙をバネにするように、「とにかく過ちを出さない」という社風づくりへ踏み出す。コンプライアンス委員会を新設し、アドバイザーと名付けた営業職員の評価基準を、お客に回転売買を促しがちとなる手数料本位ではなく、預かった資産の増加額に変える。