徳島で会った八十幾つの人形師
あれは40年も昔のことであるが、私は四国の徳島へ行ったことがある。徳島の在の和田と言うところへ行って、天狗屋久吉と言う人形師に会ったことがある。久吉はそのとき、八十幾つかのお爺さんであった。
土間があって、畳敷きの仕事場がある。往還に面したところに障子があって、低い縁側がある。往還は馬車の往来が激しくて、縁側は埃だらけである。その縁先に坐って、一日中、こつこつとのみを使って木を刻んでいる。
「16の年から、こうして毎日、木を刻んでましたのや」とお爺さんは言う。
16の年から80幾つまで、毎日、こつこつと同じ仕事をした。その、のみを使うながい道程で、お爺さんは、人形とはどうして作るものかと言うことを会得した。
その有様を眼のあたりに見て、感動したことを、私はいまも忘れない。
毎日、こつこつと同じ仕事を繰り返す
そうだ。毎日、こつこつと同じ仕事を繰り返すのだ。私の手の中に、昨日までの仕事の記憶が残る。毎日書くのだ。天狗屋のお爺さんのように毎日書くのである。
書けるときに書き、書けないときには休むと言うのではない。書けない、と思うときにも、机の前に坐るのだ。すると、ついさっきまで、今日は一字も書けない、と思った筈なのに、ほんの少し、行く手が見えるような気がするから不思議である。
書くことが大切なのではない。机の前に坐ることが大切なのだ。机の前に坐って、ペンを握り、さア書く、と言う姿勢をとることが大切なのである。自分をだますことだ。自分は書ける、と思うことだ。

