「やっぱり1位の人にします」の可能性は
さらにまずいのは「世間が騒げば選考会議の決定が覆る」と組織内外が認識するようになることだ。
筆者が考える最悪の展開は、ここまで述べられたような「説明責任」が果たされないままに、「やっぱり1位の人にします」だとか、再投票が行われるといった事態になることである。
つまり、コンプライアンス上定められた手続きを満たしたにもかかわらず、内外の批判を受けて覆ってしまうという展開になりかねないことを、選考会議も大学組織も警戒しなければならない。
組織が死守すべきは自己決定権であり、「信用ならない」という理由で外の声によってそれが剥奪されることを第一に避けるべきだからだ。
組織としては、自身の正当性を維持するために説明責任を果たす、と考えるべきであろう。
自己決定できなくなる東大
繰り返すように、組織は現実的に、ますます自分のことを自分で決められなくなっている。意向投票だけで決めないようにするのも組織の外で起きた流れであり、選考会議の半数は学外のメンバーである。今回の件が紛糾したのも、内部の声よりは外部の声が目立って大きいとはいえるはずだ。
そもそも職位の問題上、筆者は常勤教員でありながら選挙権を持たない。「中にいながら蚊帳の外」という感覚がないわけではない。自分事として考えるには限界もある。
現代の組織は「現代的」であろうとすることで、ますます自己決定権を失いつつある。
ただ、現実的に組織を経営するうえで、「中の声」が不要でも、看過してよいわけでもないのは明白だ。構成メンバーに自分事だと認識させるのも、マネジメントの力量が問われる課題である。
「外の意見を聞け」という規範ばかりが強まる時流において、外部の目を入れることと内部の声を軽んじることは別であり、一概に矛盾もしない。この2つを混同すると、ガバナンス強化のために導入した制度が、かえって組織内部からの信頼を失わせる原因になりかねない。
「そんな時代じゃないから」「今はこういう時代だ」というフレーズと共に、新たな制度が導入される。ところがそれは世間的な感覚と一致もしていなければ、「中の人」の意向を軽んじることの正当化材料にもならない。ならば外圧から導入された制度を、組織としていかに馴染ませていくかが重要になる。
総長選の騒動は、そういった問題に対して示唆を与えてくれるものであるはずだ。
検索時にプレジデントオンラインに関連する記事が表示されます


