クマによる人身被害が増え続けている。その実態とは、どのようなものか。ノンフィクション作家・人喰い熊評論家の中山茂大さんは「約80年分の北海道の地元紙を通読し、人喰い熊出没の兆候を分析した。このうち朱鞠内湖の周辺は、かつて事件が多発した“道内で最も危険な地域”だった」という――。(第1回)

※本稿は、中山茂大『ヒグマ110番』(つり人社)の一部を再編集したものです。

ヒグマ
写真=iStock.com/Byrdyak
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人喰い熊事件が多発した危険地帯

2023年5月14日、道北の朱鞠内湖で男性が行方不明となり、胴長靴をくわえた熊が付近で目撃され、さらに人間の頭部が発見された事件は大きく報道じられた。

朱鞠内湖は日本最大の人造湖として知られ、幻の魚「イトウ」が生息していることなどから、釣り人に人気がある湖である。

朱鞠内湖が位置する幌加内町から士別市、剣淵町に至る一帯は、かつて人喰い熊事件が多発した、道内で最も危険な地域であったことは、拙著『神々の復讐』で指摘したところだが、殊に朱鞠内湖の南に位置する温根別村では、大正から昭和初期にかけて人喰い熊事件が続発した。

その中でももっとも衝撃的だったのが、大正12年に発生した「首なし死体事件」である。当時の新聞は次のように報じている。

〈上川郡温根別模範林及び北線方面において、去月下旬より巨熊が出没し、付近農家を驚かす等危険甚だしく、(中略)同地、石川信治(四三)は二日午前七時頃、三番山に行ったまま三日朝に至っても帰宅しないため、付近に住む大平善一、矢野利作の両名が現場に赴いたところ、信治は自宅を距たる約二百間の箇所で、見るも無惨な有様で噛み殺され、雪中には血痕点々とし、膝蓋骨の一部露出し(中略)、わずかに胴を残すのみで、内臓全部を喰い尽くされ、あたかも蝉の空殻のごとく、惨状は目も当てられず〉(『北海タイムス』大正12年5月6日)

“自分の首の上”に腰かけていた

しかし実際の遺体は、報道よりもはるかに損傷が凄まじかった。

『士別よもやま話 第三集』(士別市郷土史研究会)に、三宅裕良の聞き取りによる「熊と首なし死体」の挿話が掲載されている。

〈今も脳裏から離れないのが石川さんの悲報だ。

父親が当時消防団に所属していて、熊の襲撃の都度出動していた。そんなわけでその時の様子を推理を加えながらよく説明していた。

現場はすぐ近くの太平さんの裏手あたり。「熊にやられたと聞くと、それっとばかり現場に急行した。死体は木の株にでも腰をかけた様な格好をして坐っていた。発見するのにそう時間はかからなかったが、驚いたことに首がない。みんなで四方八方捜したが見当らなかった。とうとう諦めて死体の移動にかかったところ、尻の下から首が出てきた。自分の首の上に腰をかけていたんだ。」

この首捜しは余程印象に残ったらしく何回も何回も聞かされた〉(三宅)