誰に向かって「説明」するべきか

いっぽうで、説明には別の問題が生じることも考えねばならない。説明は、聞き手ありきの概念だという問題である。選考会議や大学組織が実際に説明を試みようとしたとき、いったい誰に対して説明すればいいのだろうか。

いやいやそれは「世間」だろうという意見もあるかもしれない。ただ、世間といっても広すぎる。持っている情報も、大学への関心も、問題に対する理解度もまったく異なる。上記のような問題を理解している/できる層ばかりではない。

最終的に承認する文科省大臣の答弁をみても、「説明責任はあるだろう」と言いつつ、それは誰に対する説明なのかという疑問には答えない、ぼやけた感想にみえる。いったい誰に対して説明できれば、責任を果たしたといえるだろうか。

組織はまず、「中の人」、つまり東大の教職員に向き合うべきであろう。特に投票という形で意見を求めた限り、投票結果に反する意思決定に対して納得できる説明があってしかるべきである。

現時点でなされた説明は、2位の候補を選んだ理由にはなっていても、1位の候補を選ばなかった理由にはなっていない。また内部に対して説明できるならばすなわち、外部に対する説明もある程度はできるはずだ。

SNSを含めた「外の声」に対して説明責任を果たそうとしても、相手が何に違和感をもっていて、どう説明すれば納得するのかまるでわからない状況で責任を果たすというのは至難の業である。

対して組織内部は、比較的対応しやすい相手でもあるはずなのだ。少なくとも外部と比べれば。

東京大学の赤門
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藤垣氏が総長になった後に起こりうること

このまま2位の藤垣氏が総長になれば、何が起きるだろうか。

10月13日、東大の教職員有志が、経緯の説明を求める要望書を選考会議に提出したことがわかった。約500名が賛同者として名を連ねているとのことだ。

この要望書への署名は「有権者」に限らないため、意向投票に参加しなかった方も含まれるものの、無視できない程度の数から要望が上がっているとは言える。

恐れるべきは、主に2点だ。

まず、投票が有名無実化すると、組織内部ではますます組織経営に関心がもたれなくなるだろう。「せっかく票を投じてもどうせ外の人が決めるのだろう」と考えるようになると、構成員は当事者意識をもたなくなっていく。

いわゆるエンゲージメントやモチベーションの低下が起きかねないが、自治を旨とする大学組織でそれが起きるのは思わしくない。