なぜヒグマによる人身事故が後を絶たないのか。獣医師・ハンターの石名坂豪さんは「熊害史上最悪とされる1915年の苫前三毛別事件は、現代のヒグマにも通じる行動が多い。危険な連鎖を防ぐには、まず食べ物の味を覚えさせないことが重要だ」という――。(第1回)

※本稿は、石名坂豪『熊害(ゆうがい):獣医師ハンターが見たリアル』(NHK出版新書)の一部を再編集したものです。

三毛別羆事件復元地
三毛別羆事件復元地(画像=Soica2001/PD-self/Wikimedia Commons)

ヒグマ1頭で死者7人、重傷者3人

1915年(大正4年)12月、北海道天塩てしお国苫前郡苫前村大字力昼村おおあざりきびるむら三毛別御料農地六号新区画開拓部落六線沢ろくせんざわ(現在の北海道苫前郡苫前町三渓さんけい)で発生した「苫前三毛別事件」は、日本史上最悪の獣害事件、あるいは熊害史上最悪と評される事件である。

事件が発生したのは同年12月9日から14日にかけてで、わずか数日の間に死者7名(臨月の胎児含む)、重傷者3名の被害が発生し、集落全体が恐怖に包まれた。

重傷者1名はこの時に受けた外傷が原因で2年8カ月後に死亡したため、本事件による一連の死者は8名とされている(※木村 2015)。事件の発端は、1915年11月に同集落の開拓農家(池田富蔵家)が軒下のきしたのトウキビ(トウモロコシ)を複数回にわたってヒグマに食害されたことだった。

※木村盛武(2015) 慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件.220pp.文藝春秋(文春文庫).

くり返し被害を受けた農家は11月30日に近隣の猟師2名に張り込みを依頼し、狙い通り同日の夜8時頃に巨大なヒグマがトウキビを食べに現れた。しかし気負った1名がよく狙わずに発砲してしまった結果、距離数メートルで失中しっちゅう(外れること)、急いでベテランが2発目を発砲したが、出血痕が残されただけで逃げられてしまった。

犠牲者2人の通夜に乱入、逃げた先は…

そして12月9日の午前、太田三郎家に侵入したヒグマが屋内で少年(蓮見幹雄:預かり子)を殺害し、太田の内縁の妻マユを屋内で一部食害した後、連れ去る事件が発生した。翌日(12月10日)、捜索隊がマユの遺体を土饅頭にしている巨大なヒグマと遭遇したが、不発の銃が多く、またも射殺に失敗した。

いったん逃げ帰った後、再度捜索隊は現場に赴き、ヒグマがいない状況のトドマツの根元から、わずかに食べ残されたマユの遺体の一部(両足の膝下部分と頭髪を剝がされた頭蓋骨ずがいこつ)を発見し、回収して太田家に戻った。

同日の夜に太田家で計9人が参列し、亡くなった2人の通夜が執り行われたが、そこへヒグマが乱入した。開拓小屋の屋内は一時大混乱となったが、威嚇の怒号と石油缶を叩く音、そして威嚇発砲に反応してヒグマは逃走した。

しかしその後すぐ、太田家より少し下流側にあり、比較的家が広かったために避難者も含めて計10人が滞在していた明景家が窓から侵入してきたヒグマに襲撃され、さらに5人が死亡、3人が重傷を負ってしまった。

三毛別ヒグマ事件のわずか1カ月前に撮影された明景家一家の写真
三毛別ヒグマ事件のわずか1カ月前に撮影された明景家一家の写真(画像=のら猫のひとりごと/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)