「民族の興亡を決すべき運命の戦い」
これは、日露戦争で日本の降伏があれば、「最小限に考えて」も対馬と佐世保はロシアの「租借地」となり、北海道と千島列島はロシア領に、そして「東アジアの歴史も、その後とはちがったものになったにちがいない」――満州はロシアの居座りが「国際的に承認」され、朝鮮の宗主国も「中国からロシア」になり、仁川付近に「ロシア総督府」が出現したであろう――という「想像」と対を成すものです。
「民族の興亡を決すべき運命の戦い」として、強い危機意識のもとに、日本海海戦が位置付けられています。
「日本側がやぶれた場合の結果の想像」は、「一種類しかない」――「日本のその後もこんにちもこのようには存在しなかったであろう」とするのです。
同時に、日本海海戦は、この意味において「国民的」な記憶とされています。「大海戦という叙事詩」を書こうとする司馬は、日本海海戦を象徴する東郷平八郎の大本営に宛てての有名な電文「敵艦見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」について、多く言及をしています。
有名な電文をめぐる「深すぎる考察」
真之が全文を書いたのではなく、「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の一文のみを挿入したこと、この一文も天気予報の文章であったこと、しかしこのことによって文章が「完璧」になるにとどまらず、「単なる作戦用の文章」が「文学」になった観があることなどを、司馬はいうのです。
さらに電文の文体の分析を試みて、「之ヲ撃滅セントス」という「極端なあるいは誇大な用語」はこれ以前に使われたことがなく、「この種の誇張表現」が恒常的に用いられるのは、昭和期とくに日中戦争期からであるとの批判をおこないます。
しかし、つづけて司馬は、東郷司令部があえて使ったこの「撃滅」という言葉は、文字通りバルチック艦隊を「撃滅」することが要求されていたことへの東郷の意思表示であった、との解釈をつけ加えます。
また「天気云々」のくだりは単なる美文ではなく、しばしば濃霧になる日本海が「天気晴朗」であり、「浪高シ」という状況も、ロシア軍艦に不利であることを表現した――「わが方に有利である」ということを、真之は「この一句で象徴した」と、司馬はいいます。
国民的な記憶をかたちづくっている文章に、あらたな解釈を施そうという試みであり、すでによく知られていることがらに、新解釈を提示することで、歴史叙述をおこなうときの主要な問題意識のひとつであるでしょう。ただ、いささか強引な感は否めません。

