あのUターンをめぐる評価は…
同時に、日本海海戦といえばかならずとりあげられる、東郷がバルチック艦隊の前でUターンをしたこと(「Uというよりもα運動というほうが正確にちかいかもしれない」と司馬は付け加えています。日本海軍用語でいう「T字戦法」「丁字戦法」です)、すなわち連合艦隊の「敵前回頭」に対し、それを「大勇断」とする説を退けていきます――軍艦が軍艦に砲弾を命中させることが「いかに困難なもの」かをいいます。
また、この「敵前回頭」の実施をめぐっての評価のさまざまを描きます(「敵前回頭」をめぐっては、たくさんの論及があります。
戦士研究者の野村實さんは、東郷がすでに十分に考え、リハーサルまでやった「練りに練られて作成された戦術」〈『日本海海戦の真実』〉としますが、軍事史家の戸高一成さんは「日本海海戦に丁字戦法はなかった」〈『中央公論』1991年6月号〉を書いています。大江志乃夫『バルチック艦隊』〈1999年〉もこの戦法は実施されなかったという考え方です)。
ロシアの司令長官は「無策」だった
ロジェストウェンスキーは、この東郷の動き(=「敵前回頭」)に対し、決断が「鈍重」で、「無策」をさらけだし、対抗するのに「ふさわしい戦術」を用いようとはしなかったと、司馬は手厳しい評価を与えています。ウラジオストックへの「遁入」がロジェストウェンスキーの「戦術的思考の足をひっぱり、歪曲させ、にごらせていた」と、解釈しています。
バルチック艦隊には「司令長官という脳髄」が存在しない、とまで司馬はいいますが、バルチック艦隊は「北走」します。それを追う連合艦隊は、第二艦隊はそれを見失ってしまうものの、第一艦隊が「奇蹟」的に発見し、さらにそのあとも何度か見失い発見するなど、細かな動きが記されていきます。
この過程も、しかし、単純に〈事実〉を述べ立てるのではありません。三笠とスワロフとの旗艦同士が接近したとき、スワロフの砲はあたらず、三笠は「合理的方法」で「整然たる統制のもと」で射撃をした、と記すように、司令部の優劣というさきの仮説に基づいての叙述となっています。
東郷は、はじめは鍛鋼榴弾で「兵員その他を殺傷」し、スワロフとの距離が近づいてから徹甲榴弾に切りかえ、艦体の装甲部を打ち抜くという「計算」をしていたと指摘します。

