通説に独自解釈を加えようとする執念

しかし、司馬は「晴朗」ということにさらにこだわり、「現実に両軍が衝突したときは、濛気もうきがなお残っていた」といい、「晴朗というよりもむしろ薄霧であった」ものの、しかしそのことが東郷に幸いした、と述べています。通説となっている出来事に、独自のあらたな解釈を持ち込み、国民的記憶の要の要を再解釈しようとする司馬の姿勢に、その執念がうかがわれます。

「天気云々」の一句にこだわるなかで、司馬は気象学と気象行政に言及し、豊富な知識を提供します。気象行政の中心にいた人物の一人である岡田武松は、戦時予報を担当するかたわら、日本の気象学の水準を世界に認知させるために、海外向けの雑誌を編集発行したとされます。

司馬は、岡田の「可憐さ」をいい「無私な作業」を見出していますが、「余話として」語られるエピソードも、決して単なる豆知識ではなく、司馬の解釈と歴史的な意味付けが含まれ、メッセージが入り込んだものとなっています。

衛生面に関する日本とロシアの違い

海戦直前に、三笠では、積んであった「石炭袋」を海に捨て、そのあと「炭塵たんじんでよごれた艦内を掃除」し消毒します。戦艦・敷島でも、砲弾が破裂し、艦内の構造物の破片が兵員の体内に入ったときに化膿しないように、石鹸や消毒薬を使って艦内を消毒し、全員を入浴させます。

戦艦三笠
戦艦三笠(写真=West & Son, Southsea/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

また、日本海軍では、戦闘服は、下着にいたるまで「新装」にします。これも、「外傷をうけた場合の化膿の可能性をずいぶんおさえることができる」ためですが、ロシア海軍の場合は、逆にもっとも汚れた服を着ることが記されます。衛生に注意を払う日本と無頓着なロシアとが、エピソードのなかでさりげなく語られるのです。

あるいは水雷艇の艇長が、豊臣秀吉の侵略に抗った朝鮮の海将・李舜臣り・しゅんしんの霊に祈ったようだとも書き付けます。このエピソードを記したうえで、司馬は、東アジアを「併呑」する野望をもつロシアのバルチック艦隊の撃滅を「東アジアの防衛のため」と信じ、「かつてアジアが出した唯一の海の名将の霊に祈ったのは当然の感情であるかもしれなかった」といいます。

日本海海戦の意味付けが、こうしたエピソードのなかに語られ集積されていきます。