自然への恐怖と感謝からカミが生まれた
さて、これだけたくさんいる精霊/カミですが、なぜ、狩俣ではこんなにたくさんの精霊/カミが祀られているのでしょうか。それは、宮古島の人びとの「自然に対する恐怖(怖れの気持ち)」と関係があります。
宮古島は、東シナ海に浮かぶ小さな島です。夏に台風がやって来ると、暴風雨がものすごい勢いで吹き荒れます。現在は水道が完備されていますが、かつては水不足にも苦しめられました。日照りになると作物が実らず、自給自足だった昔の宮古島では、それが死活問題だったのです。いまはリゾート開発で減らされてしまっていますが、かつては手つかずの森もあちこちに存在していました。
このような環境の中で、人びとは農業を営み生きてきたため、彼らにとって自然の存在は非常に大きなものでした。自然に対しては、基本的に「怖ろしいもの」という感覚が存在していました。「自然の猛威」という言葉がありますが、彼らは文字通りそれを実感して生きてきたのです。
同時に、その中での豊作はことさら貴重であり、自然への感謝の気持ちも芽生えました。これが、宮古島の自然観です。島民が便利な暮らしを享受するようになった現在でも、この感覚は根付いています。
そんな宮古島の人びとは、「むき出しの自然」にそのまま向き合うのではなく、人間が理解可能なものに変換して受け止めようとしてきました。恵みをもたらす一方で、猛威を振るう自然。これは一種の「カオス(混沌)」です。このカオスにただ翻弄されるばかりでは生きていけません。
そこで、本来はカオスであるとわかっていながらも、自然をなんとか理解可能な「ノモス(秩序)」に変換しようと試みたのです。その際に行ったのが、自然を「カミ」として祀ることでした。
カミは人間にプラスにもマイナスにも働く
「自然がカミ」とは、どういうことでしょうか。まず、人びとは自然には人知を超えたパワーがあると感じ、それを「霊力」として認識しました。植物が成長することや、泉から水が湧き出ることは、この霊力によるものだと信じたのです。
そして、この霊力が凝集して固まったものが「霊魂」といえます。ちょうど、水が固まって氷になるようなイメージです。
霊魂自体は、意思や個性を持ちません。しかし、その霊魂が意思や個性を持つようになる場合があります。そうして生まれたものが「精霊」です。精霊とは、霊力が固まって霊魂になり、それが意思や個性を持つようになったもの、つまり「人格化」したものを指します。
精霊は姿かたちが想像される場合もあれば、漠然とした存在とされる場合もあります。精霊は自然の中にはもちろん、人びとが暮らす集落の中にも多数存在していると感覚的に捉えられてきました。
精霊は、人間に対してプラスに働くこともあれば、マイナスに働くこともある「善悪未分化」な存在だと信じられてきました。この性格は、まさに自然そのものです。恵みをもたらす一方で猛威を振るう自然の性質が、そのまま精霊の性格に表れているのです。
人びとは、この精霊をなんとか対話可能な存在にしたいと望みました。そこで、精霊を「カミ」として祀り上げることにしたのです。

