年を重ねるほどイライラしやすくなっている――そんな「老害」に自分はなっていないか、中高年にとって大きな不安である。仏教の教えをヒントに、悩みに振り回されない「超合理的な考え方」を手に入れよう。

「老害」の正体は「妄想」の押し付け

「若い人たちが遠く見える」「自分は『老害』になっているのではないか」と気にかけている人は大勢いるかもしれません。実際、40代以上のビジネスパーソンと話していると、年を重ねた自分に焦りと不安を感じている人によく出会います。

草薙龍瞬さん
草薙龍瞬 Ryushun Kusanagi
僧侶。中学中退後、大検を経て東京大学法学部卒業。政策シンクタンク勤務等を経て、30代半ばで出家。現在は宗派に属さず、実用的な仏教の「本質」を仕事や人間関係などにわたって伝える活動をしている。『反応しない練習』(KADOKAWA)など著書多数。

しかし、仏教的視点からお伝えできることは、「老害かも」という恐れ自体が「無駄な反応」だということです。老害を気にしても、現実の悩みが解消するわけではありませんよね。別の発想で乗り越える必要があるのです。

そもそも世間で言われる「老害」の正体とは何でしょうか。ひとつは、肥大する妄想が災いして現実が見えなくなること。もうひとつは、人の話を聞けなくなることです。

ここで言う「妄想」とは、精神医学上の症状を指すのではありません。すぐ過去に戻ってしまうこと、自分の意見しか見えなくなること、自分が正しいと思い込んでしまうことです。思い込みや勘違いが増えて、周囲との軋轢あつれきが増え、怒りっぽくもなります。

一般に人間は40代以降になると、脳の前頭葉が萎縮してくると言われます。前頭葉は理性や判断力を司る場所です。ここが衰えてくると、心に湧き上がる初期反応を抑え込めなくなり、感情や妄想のブレーキが利かなくなるのです。

特に厄介なものが、「妄想」です。妄想は脳にとって一番楽です。脳神経を走る微弱な電気信号だけで、できてしまう。だから年を取っても、妄想は続きます。過去の経験や「自分はこう判断する」という妄想を先走らせて、現実を処理しようとします。結果的に周囲とズレが生じ、時に困った事態を引き起こす。これが「老害」です。

ちょっと笑える例を挙げましょうか。かつて訪問した家で、中学生の男の子に「最近、どんな歌を聴いているの?」と尋ねたのです。ロックバンド「WANIMA(ワニマ)」の曲を流してくれました。そばにいた母親が「ウルフルズに似てるね」と言ったのです。気難しい年頃の少年は再び沈黙――。せっかくの対話が台無しです。30年も前の曲を持ち出して、若い心を理解する道を塞いでしまう。これが妄想の弊害です。その延長に待っているのが、「老害」です。

「若い人が何を考えているか、わからなくなった」と、よく言いますよね。しかし大事なことは、自分の妄想に気づいているか、相手をどれだけ理解しようとしているかなのです。

人はすぐ過去の記憶を検索します。「自分のときはこうだった、自分ならこうした」という記憶上のデータを持ち出して物事を判断し、聞かれてもいないのに思い出話を始め、自分の意見を得々と語りだす。そんな自分は、若い人から見れば目上の人です。何も言えません。そんな相手の沈黙を見て、「わからない」「物足りない」「自分が年を取ったのか?」と思うのは、自分の妄想が原因かもしれないのです。

老害とは、自分の妄想に気づかなくなったときに起こる周囲との不協和音である。そう定義してみましょう。すると、老害を防ぐ確実な方法が導き出せます。次の3つを心がけるのです。

(構成=佐藤暁子)