年金だけで暮らしていくのはきびしい――。そのことに気づいたのは60代の半ばでした。
母に認知症の症状が出始め、30年携わった特別支援教育の仕事を退職したのが59歳のときです。介護をしながら、もともと好きだった絵をカルチャースクールで学び、展覧会に出したりする生活を送っていました。このまま趣味の絵を楽しみながら年金生活を続けられれば……と思っていたのですが、実際に計算してみるとそう簡単にはいかないことがわかりました。そこで、仕事を探し始めたのです。
塾講師や、司書教諭の資格を持っていたこともあり、教育関係の仕事を中心に履歴書を出したところ、ほとんどが書類選考の段階で門前払い。高齢者の仕事探しがきびしい現実を思い知らされました。
幸いにも採用してくださるところがあり、いくつかのアルバイトを経験しました。美術館の清掃、物流センターでのトラック誘導、スーパー銭湯……。それぞれにやりがいを感じましたが、どれもハードな仕事でした。トラック誘導は運転手さんから缶コーヒーをもらって温かい気持ちになる一方、冬は体の芯から冷え込み、トラックが激しく行き交うときは「轢かれたら死ぬ」と身の危険を感じることもありました。ずっと続けられるものではないので、家でもできる仕事を持ちたいと考えるようになっていったのです。
そこで、資格に詳しい娘に、どんな資格があると仕事に結びつくか尋ねてみました。宅地建物取引士やマンション管理士など、さまざまな資格を教えてもらう中で、興味を持ったのが行政書士です。「国語力、つまり読解力が重要」と聞き、数学は苦手でも国語には結構自信があったので、もしかしたら自分に合っているかもしれないと思ったのです。そして、73歳のときに勉強を始めました。
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資格受験の学校に入りたい気持ちもありましたが、お金も時間もなく、通うのも大変なので、独学を選びました。YouTubeなどで「一発合格」という話をよく見かけたので、「自分にもできるだろう」と甘く考えていました。ところが模擬試験を受けてみると、取れた点数が合格ラインの180点に対して120点ほど。結局1年目は不合格に終わり、2年目も同じような点数で、やはり合格には届きませんでした。
現実のきびしさを思い知らされながらも、やめようとは思いませんでした。焦りがなかったわけではありませんが、「頑張ればなんとかなるだろう」と悲壮感を持たず、楽しみながら勉強を続けました。
アルバイトをしながらでも、勉強の時間はなるべく確保するようにしていました。当時はスーパー銭湯のアルバイトが朝8時からだったので、5時に起きて2時間ほど勉強。仕事から帰ってからも空いている時間はすべて勉強に充て、休みの日は設けず、毎日机に向かいました。
最初は試験に受かるために知識を詰め込むという意識だったのが、続けるうちに法律の勉強そのものが面白くなっていきました。愛用していた参考書は、条文を網羅し、関連する判例や過去問がまとめて載っている『行政書士試験六法』です。あまりに分厚いので、電車の中でも読めるように、自分で裁断して2冊に製本し直しました。記憶に定着するまで何度も読み込み、多いところは6周ほど読み返したでしょうか。1周目はオレンジ、2周目は青といった具合に色の異なるマーカーを引き、特に大事なところはサインペンで印をつけました。もともと絵を描くときもオレンジから入って青を重ねるといった色の組み合わせにこだわってきたので、マーカーの色を選ぶこと自体がちょっとした楽しみにもなっていました。
勉強をするうちに判例をもっと詳しく知りたくなり、合格をめざすためには遠回りになることを知りつつも、より専門的な参考書や司法試験の参考書にまで手を出したこともありました。ここは独学ゆえに迷いが生じる部分ですが、合格のためには自分の関心を優先させず、基礎的な知識を確実に定着させることに時間を使うのが王道だと思います。ただ、そうやって寄り道をしたおかげで、法律そのものへの興味が今も続いているという気がします。
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