縦横2メートルの小さな部屋
施設の中で大きくなったヒグマ同士で交尾し、子グマが生まれることもあった。施設では、メスが出産するための産室が設けられていた。コンクリートで作られた、縦横2メートル、高さ1.5メートルの小さな部屋だ。1月に入ると、妊娠したと思われるメスは産室に入れられて冬眠に入る。出産は、大体が1月末から2月頭にかけてだった。
最初の冬に、課長が産室の中を見せてくれた。産室の天井には、換気口と観察窓を兼ねた穴が開いていて、鉄の蓋が被せてある。蓋を開けて中を覗く。真っ暗だが、目が慣れてくるとうっすらとクマの輪郭が見えてくる。
突然、「ギャーギャー」と子グマが鳴き出した。思わず前田は、蓋を閉めてしまった。しかし課長は、子グマが鳴いていても観察を続けて問題ないという。ユキコという名前のその母グマは子育ての経験が豊富で、とても温厚なメスだった。
生涯で42頭の子どもを産み、38頭を育て上げ、32歳の長寿を全うした。飼育係の全員が、ユキコに敬意を払っていた。ピチャピチャと音が聞こえてくるのは、子グマを舐めているのだろうか。
前田は夢中になって耳を澄ませる。今度は、「ブブブブッ、ブブブッ」というエンジンが回っているような音が聞こえてきた。課長が、子グマがおっぱいを飲んでいる音だと教えてくれた。たまらない愛おしさを感じた。
24時間つきっきりでクマの子育てを観察
「寝袋を持ってきますから、明日から産室横の通路で寝させてください」。前田はすぐに課長に頼み込んだ。24時間体制で、観察をしようと決意したのだ。通路のコンクリートの床の上に、ヒグマの巣作りを真似してワラを敷き、その上で寝袋に入った。産室から聞こえてくる音を頼りに、記録をつけた。
当時、前田自身の息子もまだ1歳になったばかりだった。ようやく母乳を飲ませる時期が終わったこともあり、息子の世話を夫に任せる。家に帰れない日々が続いた。
子グマが3時間おきに目を覚まして、自分でおっぱいを飲むこと。それに起こされたユキコが、子グマのお尻を舐めて刺激し、排泄させること。少しでも体が離れると子グマは鳴き出し、ユキコが抱いて落ち着かせること。
ユキコが巣材のワラをたまにひっくり返し、子グマが濡れずに暖かく寝られるように整えていること。ヒグマの子育てがどのように行われているか、前田は無我夢中でノートに書き留めていった。
「愛情たっぷりで、やるべきことをきちんとこなす。静かで、無駄がなく、美しい。同じ母親という立場から見て、ユキコの子育ては本当に見事でした。何かと焦りがちで騒々しい人間に、あんな子育ては真似できません。ヒグマという動物が、どれだけ懐の深い生きものなのかが、よく分かりました」

