相談がないことで失われるもの
先ほど見たとおり、AIをよく使う職場の上司は「部下のプライベートな相談事」「組織内コミュニケーション活性化の推進」の負荷が低い。相談が来なくなれば、たしかに時間は空く。だが、失われているものが三つある。
第一に、情報である。相談は、上司にとって部下の状態を知る最大のチャネルだった。何に詰まっているのか、どこで判断を迷っているのか、そもそも何を勘違いしているのか。相談が来なくなるということは、これらが見えなくなるということだ。前回扱ったシュード・スキリングが厄介なのは、本人に自覚がないことだった。周囲にしか見えない問題があるのに、その周囲の視界が曇っていく。
気づいたときには手遅れ
「部下がいつの間にか8割型資料を作ってしまっていて、それが見事に的を外している。全部捨てさせるのも可哀想だし、事前に一言相談がほしかった」というのは、筆者がヒアリングしたとあるマネジャーの愚痴である。
第二に、関係である。人は相談を通じて、答えを得ると同時に関係を得ている。この人にはどこまでの話ができる、話が聞けるという感触や理解は、相談と雑談が入り混じったコミュニケーションで得られる。相談される側にとっても、それは信頼を積む機会だった。AIは答えをくれるがゆえに、関係はつくらない。
しかも、失われるのは上司との関係だけではない。同調査では、AIを継続的に利用する層で学びが「インプット型」へ偏り、社外活動や実践的な学習が減っていることも確認されている。画面の中で完結する時間が増えるほど、人と人の接点は職場の内外を問わず細くなっていくリスクがある。
第三に、介入のタイミングである。相談が持ち込まれる瞬間は、思考がまだ固まっていない瞬間でもある。方向を修正するにも、別の視点を差し込むにも、これ以上ない機会だった。ところがいまや、部下は迷った時点でAIに聞き、整った答えを得てから上司のところへ来る。相談が少なくなっていけば、上司が向き合うのは、すでに「完成」に近づいた成果物である。手を入れる余地は、そのときにはもう小さい。
ここから導かれる結論は一つだ。ドアを開けてただ来る相談を待っている、受動的なマネジメントでは、AI環境では機能しにくいものになっている。相談は、待っていても来ないからである。もちろん相談無く部下の仕事が自律的にうまくいくならばいいが、そうでない場合、接点は、上司の側から設計するしかない。

