根本にある目論みは「戦後日本」の転換

国家安全保障会議(日本版NSC)は、何の役に立つのか。そう問われれば、こう答えるしかない。当面は大して役に立ちはしないだろう、と。

まず、ヴィジョンが明確ではない。

日本版NSCは、首相と官房長官、外務大臣、防衛大臣による「四大臣会合」が中核となり、それを補佐する機構として内閣官房に「国家安全保障担当」の首相補佐官と「国家安全保障局」を置く。分かりやすく言えば、首相の主導で安全保障上の懸案事項に対処するのが最大眼目とされている。

だが、これが中長期的な安全保障戦略を総合的に立案・推進することを主目的としているのか。あるいは、大規模災害や有事発生の際に機動的な対応をすることを目指すものなのか。安倍政権の幹部などに話を聞いてみても、はっきりとしたヴィジョンを持っているようには思えない。

また、国家安全保障局を新設するといっても人員は60人ほどにすぎず、所詮は各省庁からの寄せ集めである。本家である米国の国家安全保障会議が200人以上のスタッフを抱え、強力な情報機関なども擁しているのとは雲泥の差がある。

もうひとつ、省庁間に根強い縦割り体質をあらため、情報が官邸に上がりやすくすることも狙いとされている。縦割り体質があらたまるなら、それはそれで望ましいことだが、すでにある内閣情報調査室との棲み分けや役割分担も判然としないし、長きにわたる悪弊と揶揄されてきた役人の縄張り意識を打破するのは容易なことではない。官僚組織は保身と秘密主義が蔓延しており、都合の良い情報は上げ、都合の悪い情報は平気で隠す。

結局のところは政治が官僚をどれだけグリップし、コントロールできるかにかかっているのだが、その能力がいまの為政者たちにあるか、答えは自明だろう。

つまり、日本版NSCなど大した役に立たない。

ただ、個々の動きだけに目を奪われて議論すると、大きな流れを見落としてしまうおそれがある。