服役中に国家資格を3つ取得

ただ、僕はこの刑務所でも喧嘩しまくって番長になった。おかげで2度も懲罰をくらって独房送りになったが、独房で過ごした時間はすべて資格の勉強に割いた。そのおかげで電気工事士二種、危険物取扱者乙種4類、商業簿記2級を服役中に取得。出所後にも保険募集人上級資格を一発合格で取得した。

資格を取ったのは、将来を考えてのことだ。中卒の刑務所上がりでも国家資格を持っていれば、「ただのバカではない」と周囲に見てもらえると思った。それでも周囲から認めてもらえないと感じれば、ヤクザの世界に行こう。そっちの世界で命懸けでやる。当時は本気でそう思っていた。

入所から3年2カ月で仮釈放となった後も、奈良少年刑務所で同じ釜の飯を食った仲間たちとは交流があった。僕はその後刑務所のお世話にはなっていないが、成人してから再び罪を犯した奴らは、こう口を揃えた。

「あの地獄の生活が待っているなら、警察の留置場で本気で自殺しようとも考えた。でも、収監された関西の某刑務所は驚くほどラクだった。辛さでいえば奈良の10分の1ぐらい。人間としての生活を許されたからね」

そんな地獄の奈良少年刑務所は、2016年度をもって閉鎖された。

“ヤクザの車”ばかり扱う会社に弟子入り

23歳で刑務所を出た後、僕は大阪市郊外にある板金塗装の会社に弟子入りした。その会社は飲んだくれの師匠が一人で経営しており、持ち込まれるのは大阪近辺のヤクザの所有車ばかりだったが、技術は本物だった。

弟子入りして約4年間、トラックのミッション交換やエンジンの乗せ替え、板金、塗装、フレーム修正に至るまで、板金工に必要とされる技術をすべて身につけ、顧客に納品できるまでになった。

大型トラックを点検する男性
写真=iStock.com/Hakase_
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ただその頃には師匠のアル中は悪化しており、僕との些細な口論が最終的には殴る蹴るの大喧嘩になった。事務所がひっくり返るほど暴れ、僕はこの一件を機に退職し独立した。28歳になってすぐのことだった。

同じ頃に結婚し、娘も生まれた。だが、家庭円満とは程遠かった。起業に伴う借金の支払いや部品代、材料費、従業員の給料などを差し引くと、自分の労働時間を長くして多くの仕事を請け負うほかない。朝早くから出勤して、深夜0時を回ってから帰宅する毎日である。資金繰りに追われて精神は摩耗し、新婚なのに家庭を顧みずに働きまくった。

妻には本当に苦労をかけた。娘の成長もほとんど一緒に見ることができず、生活に余裕もなかった。