成人式は塀の中で迎えた

この頃には地元の秀才が集まる学習塾にも通い、入塾してからずっと一番上の「特進クラス」から一度も落とされることはなかった。

中学受験はせず、地元の公立に進学したが、これが良くなかった。授業はすでに塾で習った内容ばかりで、退屈でしょうがない。次第に悪友とともに授業に出なくなり、悪さを覚えていった。大阪・ミナミの繁華街で喧嘩の日々を送り、先輩に誘われて13歳で暴走族に入ると、3年後には総長になった。

地元のヤクザと揉め事を起こしたのをきっかけに親分に気に入られ、土木の仕事を任されるようになり、17〜18歳で月に40万円を稼いでいた。だが、度重なる素行の悪さから捕まるのも時間の問題だった。ある日の早朝、自宅周りを大阪府警の刑事に囲まれて逮捕。少年刑務所に収容されてしまう。当時19歳。成人式も塀の中で過ごすことになった。

日本最悪の少年刑務所――それが僕の入った奈良少年刑務所の評判だった。そして、その評判が間違いでないことを入所初日から思い知らされた。

困った男
写真=iStock.com/bee32
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「ゴキブリを食わされる」のは当たり前

拘置所から移送されて奈良少年刑務所に到着すると、看守が連れて来られた僕ら少年たちを前にこう指示した。

「みんな、座れ」

素直に、僕らはコの字形のベンチに座った。すると少年の1人が看守3人に囲まれて、無言のまま、いきなり殴打された。少年が椅子から転げ落ちて倒れると、今度は一斉に顔面に蹴りを入れられる。顔面が1.5倍に腫れ上がった少年を横目に、少年刑務所の生活はスタートした。

当時の看守は少年たちを人間とすら思っていなかった。暴力に理由はなく、ただのストレス発散で、毎日誰かがサンドバッグのように殴られた。そんな過酷な環境で暮らしていると人は怒りの矛先を弱者へ向けるということも、この刑務所で覚えた。

奈良少年刑務所に収容された少年は、地元で番長を張っていたような不良か、重罪を犯した少年のいずれか。後者には成人なら長期刑になっていた者も多く、恋人に腹を立て妹ともども惨殺した奴や、後続車のクラクションにキレてアイスピックで運転手の目を刺した奴もいた。そしてそんな少年たちは、刑務所内で名古屋派閥と大阪派閥の2つの勢力に分かれ、互いをライバル視していた。

集団のなかに優劣が生まれ、弱者と見なされれば徹底的にシゴかれる。一番軽いシゴキがゴキブリを食わされること。書くのも憚られるようなイジメに遭って、地元で大きな顔をしていたワルが、真夜中、枕に顔をうずめ嗚咽を漏らす姿を何度も見た。精神的に追い込まれて自殺者も出たほどだ。