志望はウイスキー、担当は「輸入洋酒」
だから、大学を卒業して入社したのが酒類大手のサントリーだったのだ。しかし、ウイスキーをつくる職場を志望していたにもかかわらず、ハプニングが待っていた。
「そのときは、ウイスキーの研究職や技術職の募集は大学院卒業者だけが対象でした。私は対象外だったわけです。それでもサントリーという会社は魅力だったので、『文系枠を受け直してみないか』と言われて、受け直して採用してもらうことになりました」
入社して配属されたのは営業企画部で、担当したのは輸入洋酒だった。サントリーの自社製品ではなく、サントリーが輸入していたウイスキーなどの洋酒を、「どうやれば売れるか」を考える仕事である。
「先輩の社員に、『お前の企画は机上の空論で、絶対に売れないよ』などと言われていましたね」と、肥土社長は笑う。そのとき考えた企画は、キーホルダーのようなノベルティグッズをオマケとして付けるというようなものだった。そんなことをしても売れない理由が、輸入洋酒にはあった。肥土社長が説明する。
「当時は輸入洋酒の市場には、並行輸入のものがあふれていました。同じ製品でも、並行輸入のほうがずっと安い。1000円も値段差があれば、どんなノベルティグッズを付けてもダメなわけです」
ものづくりの未練は消えなかった
入社してすぐに営業企画だったこともあり、営業現場をわかっていないことを本人も自覚していた。企画をたてるにも現場を知ることが大事だと考え、外回りの営業をやらせてくれるように1年も言いつづけた。そして、営業に空きができたタイミングで異動になった。
自分が営業に向いていると本人が考えていたかといえば、そういうわけでもなかったようだ。むしろ、逆である。
「営業だと酒屋さんまわりをするわけですが、店に入る前に近くの電信柱の陰で深呼吸しなければ入っていけませんでした。店主さんと仲良くなって気にいってもらえるような営業は、私にはできませんでした」
それでも、肥土社長は営業で業績を上げ、当時は営業担当専務だった現在の佐治信忠会長から何度も業績表彰されたという。人に取り入っての営業が苦手だった肥土社長が、どうやって業績表彰されるほどの成績をあげることができたのか。
「どうやれば売れるのかを店に提案する営業をやりました。たとえば店頭に小さな冷蔵庫を置いて、そこにビールの6缶パックをいれておくのです。お客さんは冷たいビールをまとめて買いたいので、それが好調な売れゆきにつながりました」
ちょうどそのころ、サントリーでは支店長が本社に移動になり、肥土社長にも「一緒に本社へ来ないか」と声がかかっていた。「せっかく外に出たのに、また内勤か」というためらいもあったが、ものづくりへの未練は消えていなかった。

