父が作った「売れないウイスキー」との出会い

そんなとき、「オレも結構な歳だし、そろそろ戻ってこないか」と父親から声がかかった。

父親の歳を肥土社長に訊ねてみたら「60歳くらいかな」という。「結構な歳」でもないのだが、サントリーでの仕事が節目的なタイミングだったこともあって、家業に戻ることにした。1994年、肥土社長は29歳だった。そのとき、経営が苦しいといった話は父親からいっさいなかった。

戻って家業に励む一方で、肥土社長が夢中になったのがウイスキーだった。家業は名のある酒ではなく、一般的に消費される日本酒や焼酎などを広く扱っていたが、そのなかに父親が羽生蒸溜所(埼玉県羽生市)でつくっていたウイスキーもあった。ただし、売れていない商品でしかなかった。

「戻ってすぐのころ、そういえばうちもウイスキーをやっていたなと思い、味見させてもらったんです。ウイスキーの担当者は『うちのは重たくて飲みづらくて、評判もよくないんですよ』と言いながらもってきました。ただ、飲んでみて私は『たしかに個性は強いかもしれないが、ひょっとしたら美味しいかもしれない』と思いました」

蒸留所の入り口にある施設に並んでいるウイスキーの原酒の小瓶
撮影=プレジデントオンライン編集部
蒸留所の入り口にある施設に並んでいるウイスキーの原酒の小瓶。これらの原酒をブレンドしたものが商品として販売される

いまは、重くて個性の強いウイスキーも好まれていて、愛好家も少なくない。しかし当時は、軽くて飲みやすいウイスキーが主流だった。そういうなかで肥土社長が「美味い」と感じたのは、彼が重くて個性的なウイスキーを好んでいたからではない。

「ウイスキーの個性を楽しむのではなく、水割りですいすいと飲むほうが好きでした。そうした飲み方に向いているのが、いいウイスキーだというイメージもありました」

にもかかわらず、父親が羽生蒸溜所でつくったウイスキー原酒を「美味しいかもしれない」と思ったのだ。それから自分の感覚を信じて大々的に売りだした、ということでもなかった。肥土社長は、プロであるバーのマスターたちの意見を聞こうと考えた。

バーを回って“試してもらう”日々

「本屋に行ってウイスキー関連の本を買い込んで、そこで紹介されているバーに持ち込みました」

事前にアポイントをとって訪ねるのでもなく、いきなり「試してみてくれ」と持ちかけるのでもなく、ましてや「買ってください」と迫るのでもなかった。ごく普通の客として訪問して酒を飲みながらマスターと話をし、タイミングをはからって「じつは、こんなのがあるんですけど味をみてもらえますか」と羽生蒸溜所のウイスキーを小瓶に詰めたものを取り出した。

最初に訪ねたバーを覚えているかと訊ねたら、「南青山にあったヘルムズデールです」と即座に返答があった。残念ながら、同店は閉店してしまっているようだ。

「ヘルムズデールをはじめ、いろいろなバーのマスターたちからは高く評価してもらいました。『あそこでも試してもらったら』と次々に紹介してもらって、いろいろなバーをまわりました。なかには、『樽ごと買いたい』と言ってくれる店もありました」