ついに倒産、原酒400樽が廃棄寸前に

しかし、大々的に商品化していたわけでもないので、大きな売上にはならなかった。置いてくれるバーもあったが、何百種類ものウイスキーが置いてあるわけで、そのなかからたまに顧客が選んでくれるくらいの売れ方しかしない。1本置いてもらったとしても、それが空になるには1年くらいもかかってしまうのだ。そういう売り方では、とても商売とはいえない。従業員からも「道楽」くらいに見られていたという。

そうこうしているうちに、家業の経営不振は深まり、前述したように父親にハンコを貸すように言われ、2000年には民事再生法適用となってしまう。民事再生法の適用によって2001年には肥土社長が父親に代わって経営を続けたが回復は難しく、2004年には会社を売却することになってしまう。

現在の秩父蒸留所にある貯蔵庫。大量のウイスキー樽が並んでいる
撮影=プレジデントオンライン編集部
現在の秩父蒸留所にある貯蔵庫。大量のウイスキー樽が並んでいる

買い手は日本酒や焼酎は引き継いでくれたものの、ウイスキーについては消極的だった。羽生蒸溜所でつくったウイスキー原酒400樽の引き取り手がなければ、廃棄するしかなかったのだ。

「なかには20年近く熟成させた原酒もありました。それを捨ててしまうのは、二十歳目前のわが子を見捨てるようなものです。それは、できない。これを世に出すことが自分の役目だ、と当時の私は思い込んでしまったんです」と、肥土社長。

実は肥土社長には、スポンサー会社に残る道もあった。「そのまま残ってくれ」と打診されていたのだ。しかし肥土社長は、その道を選ばなかった。

「この原酒を世に出す仕事がしたい」。そう言って、自ら会社を辞めた。

「融資」と「貯蔵庫」でウイスキーを守る

400樽を引き取るには、受け皿となる会社をつくる必要があった。そのため以前から経営について相談していた現在の同社会長であり、当時は秩父で書店を経営していた宮前惠一氏に、「資本金300万円で会社を立ち上げようと考えています」と話した。それに宮前氏は、「300万円の資本金なんて、すぐになくなるぞ。オレが700万円をだすから1000万円の会社にしろ」と答えた。

そして、資本金1000万円のベンチャーウイスキーが、2004年9月に誕生する。

会社を設立して400樽を買い取るといっても、話は簡単ではない。買い取ったからには、売却した羽生蒸溜所から400樽を動かさなければならない。どこか倉庫を借りて移せばいい、というものではなかった。

酒の貯蔵免許のあるところから、貯蔵免許のないところへ移せば、その時点で多額の税金がかかってくる仕組みになっている。それを避けるには、貯蔵免許をもっているところに預かってもらうしかない。

「簡単に引き受けてもらえるものではなかったのですが、知り合いの笹の川酒造さん(福島県郡山市)に相談したら、『20年近く貯蔵している原酒の廃棄は業界の損失でしかない』と言われ、空いている貯蔵庫を使わせてもらうことができました」