父の会社は倒産し、残された400樽のウイスキー原酒は廃棄寸前だった。だが、その原酒から生まれた「イチローズモルト」は、やがて世界の愛好家が注目する国産ウイスキーへと成長する。なぜ「売れない」とされた父のウイスキーは、世界的な評価を受ける一本に変わったのか。元サントリー社員で、ベンチャーウイスキー創業者・肥土伊知郎社長(60)に、フリージャーナリストの前屋毅さんが聞いた――。(前編)
埼玉県秩父市にあるベンチャーウイスキー秩父蒸溜所
埼玉県秩父市にあるベンチャーウイスキー秩父蒸溜所(撮影=2019年8月)(写真=Ebiebi2/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

設立2年足らずで国産トップ、そして世界一に

世界各国のウイスキー愛好家に読まれている英国発の専門誌『Whisky Magazine(ウイスキーマガジン)』。1998年創刊の同誌は、ウイスキーのニュース、特集、インタビュー、テイスティングレビューを専門に扱い、国際的なウイスキー評価の世界でも高い存在感を持つ。

その特集「プレミアム・ジャパニーズウイスキー」で、サントリーをはじめ大手の数ある銘酒たちを押しのけて最高評価となるゴールドアワードを獲得したのが、埼玉県秩父市の新興ウイスキー製造・販売会社「ベンチャーウイスキー」の一本だった。2006年6月のことである。

その名は「イチローズモルト」の「キング・オブ・ダイヤモンズ」だ。このウイスキーは、2005年に124本だけ瓶詰めされた初回版と、2006年に555本が瓶詰めされた後発版がある。国内では後発版でも数十万円台で取引され、海外オークションでは100万円台の落札例がある。さらに希少な初回版は別格で、近年の海外オークションでは1000万円を超える価格を記録している。

設立は2004年9月なので、わずか2年足らずで国産ウイスキーのなかでトップの評価を受けたことになる。まさに、快挙でしかなかった。

これまでイチローズモルトが受賞してきた賞の数々と、実際に受賞したウイスキー
撮影=プレジデントオンライン編集部
これまでイチローズモルトが受賞してきた賞の数々と、実際に受賞したウイスキー

しかも、この評価は一過性のものでは終わらなかった。2017年には、国際的なウイスキーコンペティションである「World Whiskies Awards」でも世界一の称号である“World’s Best”を獲得するブランドへと成長していく。倒産寸前の酒蔵に残された400樽の原酒は、やがて「世界一」と呼ばれるウイスキーを生むことになる。

出発点は“倒産”だった

そのベンチャーウイスキーは、“倒産”のなかから生まれた。同社の創業者でもある肥土伊知郎社長は、埼玉県秩父市で江戸時代から続く日本酒の蔵元の家に生まれた。祖父の代の1941年に埼玉県羽生に本社工場を移し、戦後の1946年、進駐軍向けの需要を見込んでウイスキー製造免許を取得。1959年には社名を東亜酒造とし、日本酒以外の酒も手がけるようになる。

その東亜酒造が肥土社長の父親が社長のとき経営不振となり、2000年には民事再生法の適用を受けることになってしまう。

このとき肥土社長は東亜酒造で働いていたのだが、民事再生法適用の申請をする2年ほど前まで経営不振には気づいていなかったという。