纒向遺跡を開発、西日本の交易の中心地へ

武光誠『直近20年の新発見で解き明かす 古代史の真実』(青春出版社)
武光誠『直近20年の新発見で解き明かす 古代史の真実』(青春出版社)

2世紀のごく末か3世紀のごく始めに、吉備の複数の集団がまとまって大和に移住した。かれらはこのあと纒向遺跡を開発し、そこを西日本の交易の中心地とした。

こうなると淡路王国が主導権をもつ交易路は、2つの短い海路に限られてしまう。1つは、淡路島西岸経由で吉備にいたる道である。そしてもう1つは、紀淡きたん海峡の道である。

ヤマト政権はしだいに勢力圏を拡大し、大阪湾の海路と紀伊経由の道との両方向かう淡路に接近してきた。

そのため淡路王国を構成する小国は、纒向遺跡が拡大して後期纒向になった3世紀後半あたりにヤマト政権に従ったのではあるまいか。

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