難攻不落の巨城のあっけない最後
広大な城域と強烈な比高、そして「総石垣」を絵に描いたような観音寺城。まさに難攻不落を絵に描いたような城のようにも見える。六角義賢は、信長が近江へと侵攻してくると、一時は居城・観音寺城に籠城して徹底抗戦の構えだった。
しかし結局、城を放棄し甲賀(滋賀県南部)へと落ちのびてしまう。1568(永禄11)年、ほとんど抵抗らしい抵抗もなく観音寺城は落城。「豊臣兄弟!」でもナレーションだけで役者に演じられることはなかった。ちなみに大河ドラマでは、1992(平成4)年の『信長 KING OF ZIPANGU』で平泉成が演じて以来、六角義賢は登場していない。
その後、観音寺城はほどなくして廃城に。それと入れ替わるように、1576(天正4)年1月より、観音寺城の支城があった場所で安土城の築城が始まる。信長は総普請奉行を古参の家臣・丹羽長秀に任せ、秀吉もまた奉行の一人として、その一端を担うこととなった。
4年後、ついに安土城が完成すると、信長は喜んで家臣や他国の大名、宣教師たちを城に案内し、さらに領民を招いての城内見学、今でいう“ルームツアー”まで実施したという。しかし、そのご自慢の城が、みずからの死と共に焼け、完成からわずか5年で廃城になるとは、信長はもちろん、秀吉も織田家臣団の誰も想像していなかっただろう。


