安土城をはるかに凌ぐ巨城

六角ろっかく義賢よしかた、またの名を六角承禎じょうてい。京都にルーツを持つ近江国(現・滋賀県)の戦国大名だ。信長の妹・お市の嫁ぎ先、浅井家も一時は義賢に臣従していたし、京を追われたのちの15代将軍・足利義昭も義賢のもとに身を寄せた時期もある。

落合芳畿画「太平記英雄傳 佐々木六角承禎」、慶応3(1867)年、東京都立図書館所蔵
落合芳畿画「太平記英雄傳 佐々木六角承禎」、慶応3(1867)年、東京都立図書館所蔵

この六角家の居城・観音寺かんのんじ城が、戦国でも稀に見るほど広大かつ凝った造りの城なのだ。特に城域の広大さは「全山=城」といっても過言ではない。さらに比高(麓からの標高差)も、安土城の105mに対して、観音寺城は325mと、およそ3倍も高い。つまり、安土城を遥かに凌ぐ標高と城域の広さを誇る居城なのだ。

観音寺城からの眺望
撮影=今泉慎一(風来堂)
観音寺城からの眺望。中央奥が近江富士こと三上山

脅威なのは城域や比高だけではない。城内の至るところに、石垣はじめ石造りの構築物が築かれている。それらを東から順に見てゆこう。

観音寺城の現地案内板
撮影=今泉慎一(風来堂)
観音寺城の縄張図(現地案内板より)。10~18の赤線が主尾根