「官兵衛の悪評を払拭する」ため

なにしろ、秀吉には有能ながらも野心の強さを嫌われて遠ざけられたり、関ヶ原で天下取りに色気を出したりと、官兵衛はなにかと評判が悪い。

そんなイメージの悪さを払拭する方法として貝原益軒が用いたのは、半兵衛に認められた官兵衛を描くということであった。

貝原益軒は、主家の来歴から黒歴史を消したいという藩命の意図を汲んで、事実の解釈を変えることで、見事な二人の天才の物語を後世に刻み込んだのである。

貝原益軒の肖像
貝原益軒の肖像(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons
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