“勝手に始めた”官兵衛、“お見通し”の半兵衛
しかも、創作に半兵衛が取り上げられるようになった理由には、その無双ぶりを史実であるかのように語った書物の存在がある。儒学者の貝原益軒が3代藩主の黒田光之の命によって編纂した『黒田家譜』がそれだ。
黒田家の歴史を記したこの書物、とにかく半兵衛の持ち上げ方が尋常ではない。例えば、三木合戦の節ではこんなことが書いてある。
〇或時秀吉別所長治が籠たる三木の城を攻給ふ。(中略)秀吉或時早朝に本陣より見給へば、彼尾崎より後の方の山陰に人数四五百許備へて、伏勢の體に見えたり、あれは敵か身方かと御疑ひありけるに、竹中半兵衛此體を見て、今日の御合戦は味方必勝可申と存候。其故はあの山陰に見えたる伏勢は、敵にてはなく、小寺官兵衛にてあるべし。拙者に申合は不仕候へども、是に拙者居申事を官兵衛存候間、官兵衛が伏勢のやうを某見候はゞ、城中より人数を指下し候時、尾崎の前に備へたる神子田半左衛門通清一戦仕、態と早速引取候手立有べし。然らば敵必逆るを追て馳来べし。其時官兵衛伏兵をおこし跡より追討にすべき候。敵此本陣の前を過行候比、此方より兵を出し御討候はば、十分の勝利を得るるべく候。官兵衛が所存鏡にかけて見るやうに候。(貝原益軒 編著『黒田家譜』歴史図書社、1980年)
筆者訳:ある時、秀吉公は別所長治の籠城する三木城を攻撃なされました。(中略)ある日の早朝、秀吉公が本陣から戦況をご覧になっていると、例の尾根の後方の山陰に、人数を四、五百人ほど整えて、伏兵のような様子で潜んでいる軍勢が見えました。
「あれは敵か、味方か」と秀吉公が不審に思われたところ、竹中半兵衛がこの様子を見て、次のように申し上げました。「今日の合戦は、味方の必勝と断言してよろしいかと存じます。なぜなら、あの山陰に見える伏兵は敵ではなく、小寺官兵衛(黒田官兵衛)であるに違いないからです。
私に事前の相談はありませんでしたが、ここに私が控えていることを官兵衛も知っております。ですから、官兵衛が潜んでいる様子を私が(見つければ、私の意図を察して連動してくれるだろうと)見込んでのことでしょう。
城中から敵が下りてきたとき、前線に備えている神子田半左衛門通清に少々戦わせ、わざと素早く退却させる手立てを講じるべきです。そうなれば、敵は必ず勢いづいて追撃してくるでしょう。その瞬間、官兵衛が伏兵を立ち上がらせて、敵の背後から追討ちをかけるはずです。
敵が我が本陣の前を通り過ぎる頃合いを見計らい、こちらからも兵を出して討ちかかれば、十分な大勝利を得られるでしょう。官兵衛の考えていることは、鏡に映して見るかのように(私の目には)明白でございます」

