保守層から「失望」の声があがるワケ
「高市内閣になれば、歴史見解はすぐに修正します」
筆者が出演した「文藝春秋PLUS」の動画でもご説明したが、高市首相はかつてこのように発言していた(参照:小林よしのり他『希望の国・日本 九人の政治家と真剣勝負』飛鳥新社)。
なのに、いざ首相に就任し、衆院選で圧倒的多数を獲得しながら、「歴史見解の修正」に取り組む姿勢はいまのところ見せていない。
前回記事に挙げた状況証拠の数々を踏まえると、高市首相は結局、保守強硬派を装っているに過ぎず、「外国人労働者の抑制」や「韓国との領土問題」「歴史見解の修正」といった「保守派の悲願」に取り組む気は最初からなかったのではないか、と思ってしまうのだ。
実際、高市氏を支持してきた保守層の中にもそのように見る向きが増えている。前回ご紹介した百田尚樹氏の「失望発言」と「高市批判」は、従来の支持者がそうした高市首相の二枚舌に気付き始めていることを示すものだろう(参照:百田尚樹チャンネル「怒りライブ『高市総理の正体!彼女は移民推進派だった』」)。
「意識の高い国際派エリート」としての姿
そもそも高市首相のブログを通読した筆者には、高市首相が保守強硬派とはどうしても思えないのだ。
むしろ、ブログから漂ってくるのは「意識の高い国際派エリート」としての高市首相の姿だ。「産業政策に通じる改革派」で、かつ、小泉純一郎氏や竹中平蔵氏を思わせる「自己責任論者で、市場原理主義の新自由主義者」という印象も強い。
具体的にブログの記述を引用しながら見ていこう。2006年8月3日付高市ブログ「格差社会論に思うこと」には次のような一節がある。
私は、一定の格差が生じるのは当たり前のことだと思いますし、規制緩和が進むほどに格差が拡大する可能性も否めないと思っています
(2006年8月3日付高市ブログ「格差社会論に思うこと」より)
この記述は、いわゆる小泉改革によって格差が広がったという自民党への批判を受けて、反論として書かれたものだ。「頑張った人間が報われる社会には格差がある」と、格差を容認している点が注目される。
ただ、経済成長に伴う一定の格差は許容される方も多いだろうし、この記述だけであればそれほど違和感を覚えないかもしれない。

