ベンチャー経営の鬼門は「お金」よりも「戦略」

黒岩の経験では、ベンチャー事業が資金を手にすると、素人の社員は強気になってしまう。彼らは戦略の間違いがあっても深く考えず、資金の余裕を知ると、ものすごく燃えて、ものすごく働く。普通のサラリーマンの比ではない。周囲からは輝いて見える。

ミスミの事業チームの社員たちも、皆、熱い人たちに見えた。いくら働いても疲れを知らないと思える若さがあった。黒岩はこの16年間、沈滞した日本企業の事業再生ばかりを手がけてきたから、彼らの元気さは新鮮だった。

だがベンチャー経営の鬼門は、お金ではなく「戦略」だ。正直、ミスミの中でベンチャーのリスクに対して十分な戦略判断能力を身につけている人は多いように見えなかった。はっきり言えば、いわばフツーの人々が集まり、社内のいわば放し飼いのカルチャーの中で、熱く自由にやっているという感じだった。

会社改造の要諦8【事業への個人のコミット】

事業が成功するときの重要な条件の一つは、そこで働く人々の事業への「心からの思い入れ」「頑張り」だ。英語でコミットメントというのがそれだ。失敗のリスクを感じても、精神的・肉体的な疲労を感じても、その事業への思いと、成功への執着によって、頑張り続けられるかどうかがカギだ。

トップのハンズオフ組織制度の問題点

ミスミでは、会社の任命責任において、事業へのコミットメントを求められているのは執行役員と事業リーダーだ。彼らがチームの雇い主になり、メンバーの採用、クビにすること、給与を決めること、後に述べる利益配分額の決定も彼らの権限とされている。そんな権限委譲はどこの日本企業も考えたことがないだろう。

チームリーダーの立場は、毎年「競合プレゼン」が実施され、社員が自由に立候補してその職位の取り合いを演じる。チームの社員は毎年、他の事業に移ることが可能だ。他のチームから高い給料で誘いがあると、それに惹かれて動くことも可能だ。自発的にチームを離れたものの、社内で行き場所が見つからず、会社を辞めるしかないというケースも起きている。

三枝匡『決定版 閉塞企業を甦らせる』(KADOKAWA)
三枝匡『決定版 閉塞企業を甦らせる』(KADOKAWA)

創業社長はこれらを「社内労働市場の自由化」と呼んでいた。社長自身は上から眺めているだけで、執行役員とチームディレクターがそのチームの事業・組織・人事を自由に動かすのだ。いろいろなことが、トップ経営者のハンズオフのまま、動くように作られていた。

黒岩はこの組織制度に問題を感じた。

・毎年の社員の入れ替えでチーム内がガタガタして、さらに自分がクビになるリスク、上司が変わるリスクなど、社員が挑戦的な仕事に立ち向かうには落ち着かない時期が、毎年3カ月近くもある。
・ということは、彼らが仕事に専念できるのは9カ月だけだ。リスク事業に専念させ、成功確率を少しでも上げなければならないのに、こんな制度を毎年繰り返していいのだろうか。
・1年経てば他チームに行くかもしれない社員に、チームリーダーは長期的視野でじっくり教育を行う気になれるのか。短期の使い捨てが起きている可能性があるのではないか。

こうして社内を歩き始めて早々に、深刻かつ複雑な状況が見えてきた。がっかりする発見が相次いだ。外部から見て、ミスミの業績は悪くない。しかしそれは機械工業部品事業の貢献によるものだ。社長が戦略の表看板に掲げた多角化新事業のすべてが、バラバラ、チマチマ、ダラダラで、赤字のままだ。社長は発想を変えておらず、多角化事業をさらに増やすと発表したばかりだ。

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