「戦略なきよろず屋」ばかりの日本企業

黒岩はミスミの多角化戦略のことをここまで考えて、ふっと、自分の記憶のなかに、これにそっくりの「いつか見た景色」があることに気づいた。

黒岩は80年代中ごろ、自分がベンチャーキャピタルの社長をしていた時期に、日本の重厚長大企業が、空しい多角化ベンチャー騒ぎを演じたことを思い出した。その頃、新聞に報じられた彼らの多角化といえば、遊園地、スポーツクラブ、リゾート、人材派遣、コピーサービス、きのこ栽培、巨大迷路、ゴルフ練習場、あわびの養殖、ログハウスなどだった。そういう事業が鉄鋼、造船、石油精製などの停滞を打開する事業に育つことなど、あり得ない。

黒岩はそうした事業を進める重厚長大企業を「戦略なきよろず屋」と呼んだ。当時のその多角化騒ぎは、3年ほどで終息した。チマチマベンチャー群はすべて撤退になった。当時、世界から素晴らしいと絶賛されていた「日本の経営」の時代だった。その日本の大企業がこの騒ぎを演じていたのである。黒岩は恥ずかしいと思った。企業家精神に欠けていた。それはバブル破綻に向かって行く日本の前奏曲だった。

組織のサラリーマン化と日本人の経営力の枯渇

会社改造の要諦7【経営パワーの危機】

黒岩莞太がバブル崩壊以前の80年代の日本企業に見たものは、組織の「サラリーマン化」の進行と、それに伴う「日本人の経営力の枯渇」であった。黒岩はバブル破綻後の1994年に出版した『経営パワーの危機』でその実態への警鐘を鳴らした。話の中味は、バブル破綻前の80年代初めに、すでに日本で広がっていた戦略判断能力の低下の症状を描いたものだった。

ミスミは、今になって、あの80年代と同じ「戦略なきよろず屋」をやっているのではないか《感知項14》。そう気づいて、黒岩は背中に寒いものを感じた。そのため、ミスミ社内は「バラバラ、チマチマ、ダラダラ、いつまでも赤字、他事業の利益で生きている」という稚拙なベンチャー騒ぎになってしまい、ミスミの新事業は戦略破滅最終ステージに近づいているのではないか。

黒岩莞太はその見物人ではない。自分がミスミの社長になれば、この問題への責任すべてが、即座に、自分に回ってくる。深刻な問題を感知したことになる。