言葉は「前提」が揃わないと伝わらない
子どもや日本語を母語としない人など、語彙の乏しい相手に通じにくい言葉や表現というものがけっこうあります。
たとえば、子どもが相手の場合です。
先生:「貧乏ゆすりはやめましょう」
(子どもたちのヒソヒソ話)
Aちゃん:「当たり前じゃん。貧乏な人をゆするなんてダメだよね」
Bちゃん:「金持ちでも、ゆすっちゃダメだよね」
こんな例もあります。ある男性が甥っ子さんの自転車の練習につき合った時のことです。甥っ子さんが直進しかできず、壁に激突しそうになりました。そこで男性は、「危ない! ハンドルを右に切って!」と叫びました。
すると、甥っ子さんはブレーキをかけてピタっと止まり、「ハンドルって切れなくない?」と冷静に言ったとのこと。当時5歳だった彼には、「ハンドルを切る」という表現がわからなかったのですね。
また、外国人を含む会議の場でのこんな会話がありました。
Aさん:(少し怒った口調で)「一部の人に負担を偏らせ、安穏と草を食むのは、やめていただきたい」
この場に、比較的日本語が達者だが母語ではないBさんが同席していました。
Bさん:(「アンノントクサヲハム……? アンノンって誰? ハム⁇」)
日本人の大人どうしでも、こうした(高尚過ぎて?)わかりにくい比喩を使う人がたまにいますね。
「通じる表現」に直す配慮
このように、発した言葉が「どう受け取られるか」「そもそも理解できるか」は、相手の語彙力や知識に依存します。
たとえば、「貧乏ゆすりはダメ」ではなく「座っている時に膝を小刻みに揺らさないで」、「安穏と草を食むのはやめて」ではなく、「のほほんと好き勝手なことをしていないで」と表現するとわかりやすいでしょう。
また、世代によって言葉の意味や使い方が違ったり、受け取られ方が違う表現があります。
次の例は、おじいさんとそのお孫さんとの会話です。お孫さんは家の近くにある大きな青いゴミ箱にゴミを捨ててくるよう、おじいさんから頼まれました。お孫さんはゴミを捨てに外に出ましたが、家の近くには緑色のゴミ箱しかありません。そこで、お孫さんは家に戻っておじいさんに言いました。
孫:「おじいちゃん、青いゴミ箱なんてないよ」
祖父:「いや、家の近くにあるだろう」
孫:「だから、ないって」
祖父:(心配そうに)「……ゴミ箱ってわかる?」
孫:「もういいよ、じゃあ、ついてきてよ」
2人は緑のゴミ箱の前に行き、お孫さんはおじいさんにこう言いました。
孫:「おじいちゃん、これは緑だよ。青に見えるなんて、目が悪いの?」
昔の人は、緑を青と呼んでいたのです。その名残か、今でも信号の色は緑なのに「青信号」、緑色の野菜を「青菜」と呼びますね。

