教育から叙景文が消えた
【養老】ある時、国語の先生が集まる会に呼ばれたことがあって。その時に聞いたんですけど、昭和30年代だったか、戦後かなり早い時期に、教育から叙景文がなくなったというんです。遠足なんかに行くと書かされなかったですか? 言ってみればレポートですね。そういうレポートを書くことをしなくなったんです。叙景文には、文章を書く定型がかなり含まれてるでしょ。それが教育できない。今はどういう文章を書かせてるんですか?
【内田】何を書かせてるんでしょうね。写生文というのは書かせないんですかね。
【養老】スマホがあるから、写真をとって見せればいいんですかね。
【内田】でも、「説明」ってすごく大事なことだと思うんですけどね。「何かを説明する」ということは今の国語では、課題として存在しないんじゃないかな。
それで、その叙景文を書かなくなったというところから、どういう話になったんですか。
【養老】先生も嘆いていたんですけどね。それがないから何か問題があるみたいなことを言われていたと。解剖なんかは、何がどうなっているかを言葉で説明するんですから全部叙景文です。叙景文をなくしていいのかよと思ってました。
【内田】「自分の気持ちを書く」という方向にシフトしたんじゃないですかね。
【養老】お前の感想なんてクソみてえなもんだって(笑)。感想文って本当に日本人は好きですよね。
【内田】好きですよね。ほんとに。どうして子どもに感想なんか書かせるんですかね。
大学生に「粗忽な人」をテーマに書かせたら…
【養老】それなら叙景文を強制したほうがまだまし。
【内田】僕も本当にそう思います。大学でクリエイティブ・ライティングという授業を持っていたことがあるんです。その時に、学生たちに最初に書かせたのは叙景文なんです。最初に出したテーマが「自分が知っている一番粗忽な人」。
これは身の回りに必ず一人はいるはずなんです。ただ、その人のことを書けばいいだけなんです。身近にいるそそっかしい人の、印象的なエピソードを二つか三つ書いてくれればいいだけです。別にそれを批判する必要もないし、嘲笑する必要もない、ただ「この人、ほんとに粗忽者だな」と驚いた出来事を思い出して叙すればいい。
簡単な課題だと思ったんです。感情資源を動員する必要もないし。だから、簡単にできるかなと思ったけど、みんな難しそうでしたね。

