「政治家の質」はどのように変わってきたのか。東京大学名誉教授の養老孟司さんと思想家の内田樹さんは「『ありのまま=誠実』という誤解が広がった結果、自分たちより知性に優れた人ではなく、自分たちと同じレベルの人間が選ばれるようになった」という。2人の対談を、書籍『日本人が立ち返る場所』(KADOKAWA)よりお届けする――。

現実世界にある「額縁」

【内田】先生がかつておっしゃったことで、今でもよく覚えているのが「額縁」の話なんです。ヨーロッパの町に行くと、一番大きくて、豪奢な建物は教会と劇場だ、と。「どうしてだかわかるかい」と先生に訊かれたので、「わからない」と答えたら、それは「額縁」だからだと教えてくれました。この建物の中で語られていることは「現実ではない」ということを誇示するために、わざわざあんな建物を造るんだ、と。

なるほど、と思いました。この中で語られている言葉を本気に取ってはいけないよと教えるためにあの仰々しい建物がある。その通りですよね。劇場に入って、舞台でやっていることは虚構なんだと思わずに、舞台で人が殺されたら慌てて110番してもらっては困る。この「額縁」の中にあるのは「画」であって「現実」ではない。それをわからせるために、わざとごてごてした装飾がされている。

教会も同じで、ここで聖職者がとくとくと話すことはすべて「お話」であって、現実じゃないよ、と。それをわかった上で話を聴きなさいね、と。そう聴いて、ほんとうにその通りだなと思いました。たいせつなのは「額縁をつけること」なんですよね。

【養老】そうです。

ミラノ大聖堂
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「額縁」の中の言葉は現実ではない

【内田】「額縁」の効用というのは、「額縁」さえ付けておけば、どれほど過激なことでも、深みのあることでも、人知を超えたことでも、その中では語っても構わないということだと思うんです。何を語る時でも、そのつどきちんと「今語られている言葉はただの言葉であって、現実ではありません」ということをアナウンスしながら語れば、場合によっては額縁の中の画が現実そのものよりも深い叡智をもたらすことがある。

【養老】内田さんが言っておられた「ヘラヘラしている」じゃないけど、そういうことを「額縁」のないところでやろうとすると難しいんですよ。これは「額縁」のある場所ですよ、ということを指定することで、ある程度お互いに了解するところがあるけど、「額縁」があることをわかる世代ばかりとは限らないのでね。「額縁がない」という状態で議論を始めると、困っちゃうんですよね。