「額縁」の中だからこそできることがある

【内田】今日もここに来る前に、凱風館で朝稽古をしてきたんですけれど、朝起きると、僕一人で道場に出て「朝のお勤め」をします。祝詞のりとをあげて、般若心経を読んで、不動明王の真言を唱えて、九字を切る。稽古が始まっても、全員が整列した前で、「安禅必ずしも山水をもちいず。心頭滅却すれば火も自ずから涼し」と唱えるんです。こんな芝居がかった台詞を朗誦した後に「正面に礼」から稽古を始めるわけです。

これ、完全にお芝居なわけですよね。だから、わざわざ道場という特殊な空間を作り込んで、道着を着て行う。今から僕たちがやるのは「全部ある種の虚構ですからね」と、そういうふうに「額縁」を付けてから稽古を始める。「額縁」付きですから、この中ではかなりデリケートなことでも、非現実的なことでも語ることができる。

「気の流れに乗る」とか「我執を去る」とか、現実の場面では「それは何ですか。ここに出して見せて下さい」と言われても、お出しすることができないけれども、道場ではリアリティがある。実際にそれを感知し、実行することができる。そういうものなんです。