「宮仕えは学者をダメにする。志を奪うから学問が成就しない」

朱子学による教義の体系化・理論化、経書・史書のダイジェスト、テキスト化は、けっきょく儒教を手早く学び、マスターするものであって、ハウツー化といってもよい。そして朱子一門はその教えをひろめるべく、出版業の中心地に本拠を置き、テキスト化した種々の著述の編集・出版に深く携わっていた。

朱子本人は官僚としては、ほとんど休職手当しかもらっていない。門人・学生から集める謝礼だって、たかが知れている。教学の事業はそうなると、多かれ少なかれ独立採算にひとしく、民間の営利事業とならざるをえない。

岡本 隆司『悪党たちの中華帝国』(新潮選書)

それなら社会の風尚に即したメディア戦略がなくては、事業そのものが維持できなかったし、あれほど急速に勢力を伸ばすこともできなかったであろう。その所産たる『四書集注』『近思録』『通鑑綱目』などは、エリート指導者をめざす知識人必携のハンドブックとなった。やがていっそう通俗化した科挙受験参考書にも転化してゆくだろう。

そうした社会の動向は、ついに朝廷をも動かし、朱子学に政権公認の地位が与えられた。時間の経過とともに、学校でまず教わるのは朱子学、科挙の出題も朱子学となってしまう。これが決定的ではあった。

朱子は『近思録』に「警戒」すべきこととして、「官とれば人の志を奪う」という言を引いている。「宮仕えは学者をダメにする。志を奪うから学問が成就しない」というのだが、当の朱子学がそうなりはてた。

だから中国は進歩を止めた

朱子学さえ勉強しておけば、知識人エリートとして、社会の指導層にのし上がれる、名利が獲られる、という通念・慣行ができあがるのは当然である。大多数の人々にとっては、それで十分であって、もはやそこには、朱子が自ら実践したような学問の発展や革新などは期待できない。

「道学者先生」といえば、守旧派・封建主義の代名詞となった。近代日本固有の観点ながら、もちろん朱子学のありようを映しとったものではある。それこそ福澤諭吉は、封建制度・門閥制度を「親の敵」といって「漢学を敵にし」、朱子学を正学とし儒教主義を棄てない中国・朝鮮を「謝絶すべき悪友」と断じたほどであった。

もとより朱子本人が望んだことではないし、かれ一人の責任でもあるまい。しかし朱子の生きた時代、そして以後の「中華帝国」はまちがいなく、そうしたコースを歩みはじめていた。

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