なぜ習近平・国家主席は「3選」を目指すのか
20世紀初頭・辛亥革命にはじまる中国革命のプロセスのなかで、「中華帝国」はたしかに消滅した。しかしそれは「中華」が「中国」に転化し、「帝国」から皇帝がいなくなっただけ、かえって混迷を加えた観がある。
「国家主義(ナショナリズム)」は身についても、めざす国民国家(ネイション・ステイト)には成りきれていない。広大な境域に横たわる地域偏差と多元性、エリートと庶民がはるかに乖離し、多層化した社会の格差は、依然として根強く存続した。
だから共和制に転換しながら、帝制の復活も経験したし、独裁制も残存している。国民国家の樹立をめざす革命が、何度も起こらなくてはならなかった。したがって試行錯誤もくりかえされ、「悪党たち」の輩出は今も終わらない。
まるで「皇帝」のようなふるまい
21世紀の今日、めざましい大国化を遂げた中華人民共和国も然り、地域偏差や経済格差は、むしろ悪化した面すらある。だとすれば、最高指導者の習近平が、「悪党」にみまがう強権を発動し、中国革命が否定したはずの「皇帝」のようにふるまうのも、けだし当然だといわざるをえない。
現代中国の問題を「中華帝国」という歴史的なシステムとしてとらえなおすなら、そこに深く関連してくるのは、香港のいわゆる「一国二制度」であろうか。
関連の報道で目につくのは、「中国は『一国二制度』を認めなくなった」との論調であり、「事実上『一国二制度』をつぶしている」ともいう。たしかに中国政府・香港当局が、既成の情況を改めてきたのはまちがいない。
しかし中国は一貫して「一国二制度」を遵守、保持すべく行動したと主張してきた。つまり同じく「一国二制度」と口にしても、香港の民主派勢力と北京政府とは、対極にある。
前者は「二制度」という別個の体制・存在を現状既得だとみなすのに対し、後者は現状としての「二制度」はやむなく認めても、ゆくゆくは「一国」の「一制度」となるべしという論理であった。