たとえば、民主派勢力が香港特別行政区基本法第二条の「高度な自治」を守るよう求めて「独立」ととなえると、現地当局・中央政府には「中国」から分離独立すると聞こえる。それは「二制度」を逸脱し「一国」に背反するから、許すわけにはいかない。

「一国二制度」と「一つの中国」の関係性

そもそも「一国二制度」とは、大陸中国が台湾を統一するため案出した方法だった。

あからさまに「独立」をいわない台湾は、「二制度」の香港以上に、大陸とは別の存在である。これを「一つの中国」とするのが、「一国二制度」の目標であるけれども、香港の末路をみて、台湾が応じるはずもない。

そうした事情は「一国二制度」、あるいは香港・台湾にとどまらない。中国の「少数民族」「自治区」であるチベットにもあてはまる。

チベットの最高指導者ダライ・ラマ14世は、1959年にインドへ亡命したまま、帰還を果たしていない。中国の処遇に納得できないからであり、「自治区」の自治ではなく「高度な自治」を要求しつづけている。

チベット人も独自の宗教・習俗・慣例に対する否定に満足していない。そんなかれらの起こす「暴動」に対し、北京政府は弾圧をくりかえしてきた。「自治区」が一部をなす「一つの中国」、あるいは「少数民族」も含む「中華民族」の否定につながりかねないからである。それでは「中国」「中華」から離反する「独立」と選ぶところはない。

近年の新疆ウイグル自治区のムスリム住民に対する抑圧も、そうである。収容所・強制労働など、形態・方法は異なっても、政府当局の動機・論理は変わらない。

欧米やわれわれは、それをかつては「民族問題」といい、現在では「人権侵害」と非難する。けれどもそれは、20世紀初頭の梁啓超以来、中国がとなえてきた「一つの中国」「中華民族」の創出達成にあたって、不可避な現象にほかならない。少なくとも現在の北京政府は、そうみなしている。

古い地球儀の中国とその周辺国
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多元社会を統合する「中華システム」

「中華」という中心は、そうした多様で分散的な住民をまとめ上げるシステムとして機能し、また転変も重ねてきた。

唯一無二の中心を有するからこそ、多元的な社会のまま全体的な秩序が保たれるのであって、多かれ少なかれ、かつてのいわゆる世界帝国に共通したしくみである。

しかし西欧の国民国家が強大化して、その思想・制度がはいってくると、広域の多様な人々を包括していた「帝国」は、例外なく「一国家一民族(国民)」のシステム構築を強いられた。かつての「中華帝国」も、そうした転換にあたって、「中国」と「中華民族」の概念をその基軸に据える。

「中華」=天下の中心は「一つ」しかないのと同じく、その「帝国」を後継した国民国家の「中国」も、「一つ」しかありえない。「一つの中国」・一つの「中華民族」が国民国家の枠組みになったゆえんである。

もっとも、従前の「中華帝国」は多元社会であったから、後継の「中国」を構成する集団も、ごく分散的で多様だった。とても「一つ」とはいえない。