物事を二分並立で把握する対の概念は、漢語・儒教の大きな特徴である。人間関係なら父子・君臣・官民・士庶など、技能でいえば文武・本末、世界観でいえば、内外・華夷などと表現した。いずれも上下、あるいは軽重のペアで整序するコンセプトである。こうした傾向をつきつめて理論・体系にしたてたものが朱子学だった。
難解な儒教を「カリキュラム化」した
では、なぜこのような理論化・体系化が必要だったのか。そこには、宋代に生まれた「士大夫」という新しいエリートの存在がある。それまで少数の門閥が占めた社会の指導層は、貴賤貧富にかかわらず、科挙に合格すれば誰でもなれる「士大夫」へ変化していた。そんな新興階層には、それにふさわしい学術が必要である。
従前の儒教は人倫・道徳や礼制・規範に関わる教義の解釈が主であり、しかもその習得には、数ある難解な経典の一字一句の穿鑿が避けられなかった。訓詁学といって、これは家門伝来の典籍・世襲的な師承・閉鎖的で技巧化した教学を有する名門の子弟でなくては、不可能である。その必要条件を満たさない成り上がりの士大夫には、とても応じられない。知の開放と教学の一般化が欠かせなかった。
そんなニーズに応えたのが、新しい儒教の宋学、そしてその集大成・朱子学だったのである。個別の経書にもとづく繁多な学説で成り立っていたものを、形而上の「理」と形而下の「気」の系列にまとめなおし、教義を哲学的・思辨的な思想理論として、経典をいっそうシステマティックに読解、体得できるようにした。「理気」という概念を通じた体系化と理論化で、大量複雑な書物・学習・記憶を要せずに、教義の習得が可能になる。
体系・理論とは、そのすじみちをたどれば全体がつかめる、ということである。合理主義の所産であって、そのすじみちは、諸人の学び教える道程となりうる。まさに「道学」で、つまりカリキュラムに転化できるにひとしい。そうした教学カリキュラムとそれに即したテキストの考案が、朱子学のもう一つの大きな特徴である。
受験勉強に欠かせない「テキスト」に
たとえば、いわゆる「四書」の選定。『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四書は、儒教の経典全体からすれば、いずれもごく短い、かんたんな書物である。これを経書本編にとりくむための序説・解説、ないし原論・理論のテキストとした。しかもそこに、朱子独自の解釈・理論をくわえて『四書集注』としたのは、既存の経書・経義をマスターする考え方を示した、いわば学習指導のガイドであった。
聖人たる孔子・孟子の言行録が、『論語』『孟子』である。初学者には、こうした問答形式の解説がわかりやすい。したがって、もっとリアルタイムの類書も作られた。先達らの言行を編集した『近思録』、また朱子本人の言行録である『朱子語類』がある。