1937年から8年間にわたって続いた日中戦争は、悲惨な戦争だった。『後期日中戦争 華北戦線 太平洋戦争下の中国戦線II』(角川新書)を刊行した愛知学院大学文学部の広中一成准教授は「だれも失敗の責任を取ることなく、ダラダラと戦争が続いてしまった。この傾向は、いまの日本社会にも引き継がれている」という。ルポライターの安田峰俊さんが聞いた――。
“忘れられた戦争”になった「後期日中戦争」
1937年7月の盧溝橋事件で幕を開けた日中戦争は、なし崩し的に8年も続いた。歴史上、日本が一国を相手にこれだけ長期間の対外戦争をおこない続けた例はない。ただ、盧溝橋事件、南京事件、汪兆銘政権成立……と、後世に知られるエピソードの大部分は前半の4年間に集中している。いっぽう、1941年12月に対英米開戦に踏み切って以降の中国戦線の状況は、世間でほとんど知られていない。
この「忘れられた戦争」に注目しているのが、先日『後期日中戦争 華北戦線 太平洋戦争下の中国戦線II』を刊行した広中一成氏だ。華中戦線が舞台の前作(『後期日中戦争 太平洋戦争下の中国戦線』2021年)に対して、今回は中国共産党のゲリラ部隊との戦いが主だ。
約80年前の泥沼の戦争から、私たちは何を学べるのか? 現代まで通じる意外な「日本が破れる理由」が浮かび上がってきた。
大きな動きが少なく“ダラダラ”している
――つい十数年前まで、中国の農村では高齢者からリアルな話を聞くことは珍しくありませんでした。考えてみると、彼らが物心ついた頃に見た戦争は、おおむね「後期日中戦争」だったはずです。しかし、なぜ日本であまり事情が知られてこなかったのでしょうか。
長期戦に入って、大きな動きが少ないんです。なので、本に書こうとしても書きづらいところがあるのは確かです。とりわけ対英米開戦が始まると、戦争のエピソードはそちらに持っていかれてしまう。もちろん、いざ調べてみると中国戦線も動き自体はあるのですが、やはり全体的にダラダラと続いている印象は否めません。