「交渉は円満だ」と喜んでいたが…

――当時の日本軍の戦略眼のなさを痛感するのが、当時の山西省で独立勢力を築いていた軍閥・閻錫山えんしゃくざんを味方に引き入れようとする対伯工作です。詳しくは本書の第3章に譲りますが、日本軍側の記録では「閻錫山は友好的だ、交渉は円満だ」と大喜びしているのに、閻錫山側の記録はまったくそうではない。話は結局、最後まで平行線です。

円満じゃないですね(笑)。でも、閻錫山も閻錫山で、やっぱり勝ち馬に乗らないといけない。当時の彼は、山西省で何十年も君臨してきた一流の寝技師ですから。小手先で交渉に臨む日本はイチコロで騙されてしまう。しかも、最後にはいわゆる「蟻の兵隊」(*1)です。閻錫山は、日本軍の戦力まで寝技で自軍に組み込んでしまうほどしたたかだった。

(*1)「蟻の兵隊」……中国共産党と戦うために戦後も山西省に残された日本兵部隊。本人らも知らないうちに上官から現地除隊扱いされ、戦後に軍人恩給の支給問題をめぐり紛糾した。詳細は本書を参照。

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ガスマスクを着用し、チェコ製ブルーノZB26軽機関銃で武装した中国兵士(写真=PD-China/Wikimedia Commons

中国共産党があるのは「日本の侵略のおかげ」

――その閻錫山の軍も、戦後には勢力を拡大した中国共産党勢力に敗北します。結局、日中戦争とは何だったのかと思えてきますね。わざわざ中国共産党を育ててあげた戦争という印象しかありません。

そもそも、日中戦争が起きなければ、国民党の討伐を受けて中国共産党はつぶれていた可能性がありますから。毛沢東も後年、日本社会党の訪中団に「日本の侵略のおかげだ」とまで言っていますよね。

――華北の日本軍は、場当たり的なゲリラ掃討で村を荒らしていたのですが、そうするとゲリラ以外の一般人の対日感情は悪化します。いっぽう、蒋介石の国民党軍は日本軍を足止めするために黄河を決壊させたりと、国を守っても民は守らない。これでは民衆は共産党に行くしかありません。

もともと、共産党の当初の悩みは農民たちが抗日戦争に加わらないことだったんです。彼らは自分たちを迫害する地主に対する闘争はできても、本来は日本に関心はなかった。ただ、実際に日本軍が攻めてきて住民を強制移住させたり、自分たちの村を燃やしてゲリラが使えないようにしたりして、農民たちは日本が敵だと気づいてしまったわけです。

――一般住民の目線から見れば、日本軍は明確に「悪」ですからね。食料も徴発するし、女性にも乱暴するし。

オウンゴールですよ。そこで共産党は農地の税を軽減したりして農民たちの信頼を得る。報復感情を持った農民も、民兵として八路軍に加わる。しみじみ、日本側はもうすこし考えて、やめておけなかったのかと感じますね。ただ、戦争はいちど始まってしまうと止まらないということでしょう。いまのウクライナやガザの状況もまさにそうで。

日本の九六式陸上攻撃機
日本の九六式陸上攻撃機(写真=PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons