子ども時代に立てた2つの目標

この経験から、笹木さんは子ども心に2つのことを強く意識するようになった。1つは、人の役に立つ人になりたいということ。自分の命を救ってくれた医師や看護師と同じように、「この人がいたから助かった、人生が変わったと言われるような仕事をしたいと思うようになった」と振り返る。

小2の頃、交通事故に遭って大手術をしたことが人生の大きな転機となった(写真提供=LITA)

「もう1つは、いつ死んでも後悔しないように毎日全力で生きようと。その後、小学校4年生のときにも事故に遭ってしまい、同じことをより強く思うようになりました。やんちゃに過ごしながらも命を身近に感じ続ける、そんな子ども時代でした」

ただ、将来の職業に関しては「自分が全力で打ち込めて人の役に立つ仕事」というだけで特に具体的な目標はなく、高校卒業後は学費が安い、数学が得意という理由で国立大学の理学部数学科へ。しかし、この学びを将来どう人の役に立てられるのかがわからず、数学に情熱を傾けられないまま悩む日々が続いた。

20歳で死ぬかもしれないのに打ち込めるものがない

そのとき笹木さんは18歳。20歳で死ぬかもしれないのに、全力で生きられていない自分がもどかしかったという。そんなある日、工学部でモノづくりの授業を受ける機会があり、「これなら学んだことを生かして人の役に立てる!」とハッと気づく。

そこで工学部に移ろうと考えたが、理学部からの転部希望者は大学初。勇気を出して申請してみたものの、前例がないことから最初は大学側の対応も鈍かった。

何度も連絡を取り合った末、ようやく筆記試験と面接を受けられることになり、晴れて合格。前例がないことも、勇気をもって行動すれば実現できると初めて知った瞬間だった。転部後は、全力で学べる対象が見つかったことから意欲も高まり、せっかくだから首席で卒業しようとひたすら勉強に励んだ。

「この転部という選択を、絶対に『成功だった』と思えるものにしたかったんです。結果的に転部も首席での卒業も実現できたことで、努力すれば願いはかなう、成功できると身をもって知ることができました。本当に挑戦してよかったと思っています」

卒業後は、愛知県の大手自動車部品メーカーに研究開発職として入社。就職先は安定した大企業で、仕事内容も「人の役に立てる」と思えるもの。努力が実ったと実感できる、希望に満ちたスタートだった。