「フリーランス医師」の勃興~2004年の新研修医制度とネット時代~

昭和時代にも「特定の職場を持たず、腕一本で病院を渡り歩く」という医師は存在していたが、それはごくわずかだった。当時は、山崎豊子の小説『白い巨塔』で描かれたように、大学の「医局」が日本中の病院を支配していた。医局は医師就職やアルバイト情報も一手に握っていたので、ネットもメールもなかった時代に、医局の外で医師がひとりで稼ぐことは極めて困難だった。

だが医局制度は、2004年に始まった新研修医制度で崩壊していった。医師免許を取ったばかりの新卒医師は、特定の医局には属さず、2年間のローテーション研修を受けることが必須化された。各科を「内科4カ月→小児科2カ月→麻酔科1カ月……」といった形で渡り歩くのだ。

同時に、封建的な大学医局よりも、自由な都市部の病院を選ぶ若手医師が増えていった。さらにインターネットの発達で、医師転職サービスが普及し、大学病院や教授を介さなくても転職やアルバイトが可能になった。

麻酔科のような分野では、通訳や運転手のように「1日あたり○万円」という契約で働けるようになり、インターネットで仕事を簡単に探せるようになった。

筆者が勤務医からフリーランスに転身したのは2007年4月のこと。しかしながら、当時の医療界の風潮では「フリーター」「金の亡者」と呼ばれ、「医療界の底辺」という扱いをされることもまれではなかった。

フリーランス医師のターニングポイント~2012年の2大イベント~

そんなフリーランス医師の評価が大きく変わったのは、2012年である。同年2月、天皇陛下(当時)の心臓手術の執刀医として順天堂大学教授の天野篤氏が選ばれたことは、医療界に衝撃を与えた。

天野氏の経歴は「3浪の末に日本大学医学部卒、留学歴なし、国内の患者の多い一般病院で症例数を重ねて腕を磨いた」というもの。そうした経歴の医師が天皇の命を預かる手術をするという人選は、かつてであればありえなかった。しかし、天野氏と東大病院の合同チームによって手術は成功し、「優れたスキルがあれば、学閥や病院の枠を超えて活躍できる」ということを世間に印象づけた。

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そして、2012年4月、筆者宛てに「フリーランス女医を主人公にしたドラマを作りたい」というメールが制作会社から届いた。私が企画やシナリオチェックなどで参加した「ドクターX」シーズン1は、10月に放送されると大ヒットし、「フリーランス医師」は世間に広く知られることとなった。

病院ホームページに「麻酔はフリーランス医師が担当します」と明記する施設が目立つようになり、筆者のところにも「フリーランス医師になりたい」という若手医師からの問い合わせが増えた。明らかに風向きが変わったことを実感した。