6月に起こった、大どんでん返し
20世紀初頭に米鉄鋼業の輝かしい栄光の時代を築いたものの、今や凋落して自力では再生できなくなった名門の大手USスチール。わが国最大の鉄鋼メーカーである日本製鉄が6月に、先行きの暗い同社を買収し、完全子会社化した。
長くもめ続けたディールを承認したのは、2024年2月に米大統領候補として、「日本製鉄によるUSスチールの買収阻止」を公約に掲げた、現大統領のドナルド・トランプ氏その人である。
製造業の米国回帰による国家再興を目指すトランプ氏にとって、およそすべての重工業の基礎である鉄鋼は国家安全保障の要だ。2025年1月の大統領就任後も外国企業の日本製鉄にUSスチールの経営権を握らせないとの立場であった。
風向きが変わったのは、4月。トランプ大統領が対米投資案件の安全保障上のリスクの適否を決定する対米外国投資委員会(CFIUS)に対し、当該案件の再審査を命じたのだ。買収計画については、1月、
それを受けてCFIUSは5月に、「安全保障上のリスクは軽減策をとることで対処が可能」と答申。そして6月、「経営上の重要事項について米政府が強い拒否権を握る黄金株を1株保有する」ことを条件に、トランプ大統領が「USスチールの完全子会社化」を承認するという、どんでん返しが起こったのだ。
いったんは破談になった買収話が、なぜ復活したのか。
その裏には、トランプ大統領に対する粘り強い陳情を続けたUSスチールの現場労働者たちの存在があった。
大統領を動かした“一本の記事”
トランプ大統領がCFIUSに日本製鉄のUSスチール買収案件を再審査するよう命じた4月7日、ワシントン・ポストに、「ペンシルベニア州の製鉄所で『米国第一』について私が学んだこと」と題する1本の長文記事が掲載された。
ワシントン・ポストといえば、普段はトランプ氏に対し非友好的な論調を張る米高級紙だ。リベラルな同紙がトランプ大統領に対し肯定的な内容の記事を掲載するだけでもよくよく異例なことなのだが、さらに異例だったのは、その記事を執筆したのが同紙生え抜きの記者ではなく、保守派の『ワシントン・エグザミナー』誌のセリーナ・ジート記者であったことだ。
特集記事の中でジート記者は、USスチール経営陣や労働組合のエリート幹部、大物政治家や識者の見解ではなく、苦境にある現場の工場従業員の声を丹念に拾い上げた。
2024年の大統領選挙の激戦州ペンシルベニアで「トランプ勝利」に決定的な役割を果たした工場労働者たちの多くが、破談となった日本製鉄による買収をなお強く希望していることを伝えたのだ。
記事で紹介された労働者の声は、トランプ大統領やCFIUSの委員たちをはじめとする関係者を動かし、ボトムアップの形で取引を成立に導いたことは確かだ。
なぜなら、ディールが成立する見込みとなった5月30日に、トランプ大統領がピッツバーグ近郊にあるアービン製鉄所を大統領専用機で訪問してUSスチールの従業員たちに報告を行った際に、同機にジート記者を搭乗させて事前に意見交換をしただけでなく、演説の中で彼女の名前を呼び、取引成立の功労者として紹介したからだ。

