身請け金は「5代目瀬川」を上回る2億5000万円だったが…姫路城主と結ばれた「吉原で最も有名な遊女」の末路
元禄3年(1700)に三浦屋の女郎だった薄雲が、町人に身請けされた際は、350両(3500万円程度)が支払われている。その際、三浦屋から薄雲に衣類や布団、手道具、長持などがあたえられている。
350両は身請けの身代金としてはかなりの高額だが、一般には、すぐれた先輩の名跡を受け継いだ女郎が、高額で身請けされるケースが多かった。たとえば「高尾」。二代目高尾は万治元年(1659)、仙台62万石の藩主、伊達綱宗に身請けされた。三浦屋の当主は身代金として、高尾の体重と同じ重さの小判を要求したという。だが、綱宗の逆鱗に触れるようなことが発覚し、隅田川の船中で惨殺されたと伝わる…続きはこちら
小芝風花演じる高級遊女「瀬川」を約1億円で身請け…妻を大金で買った盲人、鳥山検校の悲惨すぎる末路
身請け金はなんと1500両。米の値段で換算した場合、1両は今の貨幣価値で6万3000円ほど。1500両は9450万円になりますから、すごいものです。安永7年に刊行された洒落本『契情買虎之巻』(田螺金魚・作)は、そんな鳥山検校の瀬川落籍事件に取材したものでした。
では鳥山検校はなぜこれほどの富を築き、瀬川を身請けすることができたのでしょうか。江戸時代には「当道座とうどうざ」と呼ばれる男性盲人の自治的職能互助組織がありました。そしてその当道座のトップが検校でした。その次の位が別当。次が勾当。最下位が座頭ざとうです。四階に分かれていた訳ですが、それで終わりではなく、四階は更に「十六官・七十三刻」に細分化され…続きはこちら
数百万円を得ても23歳を迎える前に死ぬ…吉原の遊女を襲った「疫病」が200年後の現代で大流行している理由
実際、この両疾患は骨に変化がみられることがあり、浄閑寺に限らず江戸時代の墓地から出土した遺骨にはしばしば特有の変化が観察される(鈴木尚『骨が語る日本史』)。
梅毒の感染経路のほとんどは性的接触であるため、男女ともに性器あるいは口腔に硬結(しこりのこと)や潰瘍ができる。ただ、梅毒の特徴はこの初期の症状が痛みを伴わないことで数週間以内に自然に軽快する。その後、数カ月を経て全身に発疹ほっしんがみられるが、これも強い痛みや痒みはなく、やがて軽快してゆく。このように症状が軽く、自然に軽快することが、梅毒患者が感染を自覚せず性交渉によってさらに次の…続きはこちら