大谷翔平の通訳だった水原一平氏がドジャースから解雇されたことが速報で流れたあの日、大谷とドジャースには何が起きていたのか。番記者のビル・プランケットさんの著書『SHO-TIME 3.0 大谷翔平 新天地でつかんだワールドシリーズ初制覇』(徳間書店)より、一部を紹介しよう――。
米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手と水原一平氏
写真=ゲッティ/共同通信社
米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手(右)と水原一平氏(=2024年2月、ロサンゼルス)

最高の親友による最悪の裏切り

日本生まれながらにして幼少期の大半を南カリフォルニアで過ごした水原一平は、2012年に日本へ帰国し、同年、北海道日本ハムファイターズで雇用された。

メジャーリーガー投手であるクリス・マーティンや、そのほかの英語圏出身者の通訳を務めることになった。

大谷翔平も同年、18歳の新人選手として入団した。大谷がロサンゼルス・エンゼルスに加入するために渡米すると、水原も同行することになり、四六時中彼の傍にいるようになった。大谷に殺到する取材や雑音を裁きつつ、唯一無二の二刀流選手が野球に集中できる環境をつくるのが役目だった。

「あの2人は、最高の親友として見ていたよ」

そう振り返るのは、エンゼルスのフィル・ネビン前監督である。

水原の父親はアナハイムでシェフをしており、エンゼルスが地元にいるときは大谷と水原はほぼ毎日このレストランで食事していた。

シーズンオフになると、水原は大谷のキャッチボールの相手も、ウェイトトレーニングの相棒も務めるし、2021年にコロラドのクアーズ・フィールドで行われたオールスターのホームラン競争では、大谷が打席に立つ際にキャッチャーを務めたこともあった。

エンゼルス時代から「違法賭博」に手を染めていた

水原は大谷にとって万能の右腕、最側近であり、マネージャーとしてコロナ禍のロックダウン中には衣食を運ぶなど、とにかくありとあらゆる業務をこなしていた。そんな業務の1つに、大谷の銀行口座開設も含まれていた。

しかし、水原は大谷がまだエンゼルスに所属していたある時期から、スポーツ賭博を合法化していない12の州の1つであるカリフォルニア州に拠点を置く、悪名高いブックメーカーのマシュー・ボイヤー主宰の違法賭博に、手を染めるようになっていた。

ボイヤーはもともと、商品取引のトレーダーで、ラスベガスにある2軒のカジノで累計42万5000ドルの負けを記録し、2011年に破産宣告を受けたわけだが、マイナーリーグの投手から胴元に転身したウェイン・ニックスを中心とした違法賭博を、南カリフォルニアで主宰したことにより連邦捜査の標的となった。そして捜査は、元ドジャースのヤシエル・プイグとエンゼルス時代に大谷のチームメイトだったデビッド・フレッチャーにも広がった。