「一生に一度は自分で車を1台作ってみたい」
「今、このプロジェクトには40人ほどの人間が集まっているのですが、みんな工場出身です。そうすると、エンジン担当は、自分が作ったエンジンがどの車に載っているかはわからないし、お客さまの嬉しさもわかりにくい。細分化された各担当になってしまっているわけです。それだと、自分の思い描くクルマ屋ではないんです。車が好きで入社したのに、1台の車を組み立てた経験を持つ人はいない。
工場でもそういう仕組みになっているんです。どんな自動車会社でもそうですけれど、たとえば元町工場は車両工場だから車を組み立てる機能はある。しかし、エンジンやミッションを作る機能はなかったりします。全部の機能がある工場は試作工場くらいのもの。ですが、試作工場は量産工場ではないから、あくまで一品ものの試作に限られてしまう。
つまり、僕らはクルマ屋になりたいと思って入ってきたわけです。エンジンばかりやっていたら電装のことはわからない、ボディのこともわからない、塗装のこともわからない。ただ、それが普通で、そうやって専門分野を突き詰めていって結果的にコストを低減する。だからこそお客さまに安く提供できている。この構造は変わりません。
でも、一生に一度は自分で車を1台、作ってみたい。自分の持てる限りの技術を総動員して組み立ててみたい。レストアプロジェクトにはそういう人間が集まって、通しで車一台を作ろうぜっていうプロジェクトなんです」
「スーサイドドア」と呼ばれる観音扉
「やってみて、みんなの腕に感心するんですよ。隣の人を見ろとトヨタでは教育されます。隣の人がみんなすごい。僕自身もプロだけれど、他の分野はわからないから感心する。機械加工はプロだけど、板金はもうど素人、何もわからない。見ていると、プロはすごいなあと感心する。そのコミュニケーションが新鮮だし、ショップ(セクション)を超えた協力が大きなことだと思っています」
初代クラウンは中村健也主査が開発のリーダーだった。中村は自動車開発のプロではなく、プレス機械の専門家だった。そんな彼が主導権を取ってクラウンを作っていったため、同車には既存のプロは考えつかないチャレンジングな技術がいくつも採用されている。
代表的なのが観音扉だ。自動車のドアが両開きになる。乗り込みやすいので採用されていたのだが、走っているうちに後ろのドアが開いてしまったら、風圧で閉めることができなくなる。なかにいる人間が飛び出てしまうこともあるから、スーサイドドア(suicide door=自殺ドア)と呼ばれるようになった。その後、廃れてしまった技術なのである。
だが、川岡たちがあらためて観音開きを研究すると、また違う感想と今後への課題が見えてきた。