「もう、まるっきりアーティストですから」

「学園を卒業して配属されたのがユニット生技部。そこで技能五輪に出るためにフライス盤をやって、鉄をミクロン単位でゴリゴリ削ってました。もう本当に難しいことをやっていて、最終的には日本大会で4位相当。金メダルを目指していたけれどちょっと獲れなかったです。

金メダルを獲る人ってのはすごいんですよ。もう、まるっきりアーティストですから。頭がぶっ飛んでないとダメです。今のレストアもそうですけれど、技能五輪を目指す人たちが配属される部署って試作部門が多いかもしれません。ユニット生技だけでなく、試作部とか。押し型、プレス型のモビリティツーリング部、のような型屋さんも多い。

レストアって試作部の仕事とちょっと似ているところがあります。ですから、レストアには社内から腕利きの人間が集まっていて、それもまた楽しいです。ユニット生技の後、モノづくりエンジニアリング部で未来のモビリティに関する技術開発等、新機能をのせるとか空飛ぶ車も作ったりはしていました。モノづくりエンジニアリング部では新しい部署で、新しいことをやる部です。自分にはピッタリだと思っています」

目的は、初代から新車を超えるクラウンを作ること

川岡が働いているのは2022年に始まった「初代クラウン・レストア・プロジェクト」だ。社内のさまざまな部署から人材を集めて元町工場でスタートしたプロジェクトで、これまでわたしが見たトヨタの現場のなかで、いちばん苦労が伴う作業を行っていた。

行われているのは修理ではない。現在ある最先端の技術を使って、昔の車を現在の新車を超えるクラウンに仕立て上げること。そのためにはかつてのトヨタ社員が作った車を分解し、ひとつひとつの構造を考え直しながら、組み立てていくことが必要になってくる。さびを落とし、へこみを打ち出し、塗装する。できあがった1958年製のトヨペット クラウンRSは元町工場の一角に置かれていたが、非常に美しいものだった。

およそ70年前にいたトヨタ社員が作った車を分解し、ひとつひとつの構造を考え直しながら再び組み立てていく
画像提供=トヨタ自動車
およそ70年前にいたトヨタ社員が作った車を分解し、ひとつひとつの構造を考え直しながら再び組み立てていく

ボディの鮮やかな水色は、当時のカタログや昔の映像を参考に再現した純正塗色の「ホリゾン・ブルー」である。水色が純正塗色だなんて、昔は美意識が高かったのか、それとも余裕があったのか。置かれていたクラウンを見ると、セピア色の昭和の町を走る映像が目に浮かぶ。

川岡がこのプロジェクトに呼ばれたのは旧車ばかり乗っていたからだという。

「今は1975年のスプリンタートレノに乗って通勤しています。入社以来、ずっと旧車に乗っていました。それで呼ばれたのですが、ほんと嬉しかった。ここにいる仲間もまた同じだと思います。僕らは車が好きでトヨタに入ってきた」