トヨタ自動車の企業内学校「トヨタ工業学園」では、3年間の高等部、1年間の専門部に分かれて自動車開発に必要な技能を習得する。卒業生はどんな現場で働いているのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんによる連載「トヨタの人づくり」。第7回は「日本最大規模の修理センター」――。

東京ドーム4つ分の広大な敷地

高等部を出た松本康寛と専門部出身の杉田陽介が働いている現場は多治見サービスセンター(岐阜県)だ。名称からすると、各地の販売店にあるような整備や修理をするところではないかと想像していた。しかし、実際に訪ねてみると、広さに驚いた。

多治見サービスセンター
画像提供=トヨタ自動車
多治見サービスセンター

同センターがあるのはJR多治見駅から車で15分走った山間部である。敷地面積は18万7000平方メートル。東京ドームのそれが約4万7000平方メートルなので、約4倍だ。敷地のなかには技術開発棟、診断・解析棟、研修棟、宿泊施設などが建っている。建物の周囲には走行確認路という名称の外周1300メートルのテストコースまで整備してある。

施設のオープンから11年たっているが、庭も含めた外観はきれいなままだ。新設された施設かと思った。

では、そんな広大な施設のなかで、ふたりはどういった仕事をしているのか。

松本は工業学園に入った経緯から答えた。

「僕は高等部の54期生です。今は41歳ですから、卒業してから23年。僕がいた頃は高等部の寮は5人部屋でした。プライバシーのかけらもない生活でした。でも、あの頃はそれが当たり前だったから、特に不満はありませんでした。……今の若い子たちは絶対に無理でしょうね。5人部屋なんて無理」

1学年に1000人いた時代も

松本が工業学園に入ったのは父親が卒業生だったからだ。親子2代で工業学園を出ている。工業学園にはそういう親子もいる。

松本は説明する。

「僕らの頃は4クラスで1学年が120人。ところが父親の時代は1学年が1000人もいたそうです。卒業しないで辞める人もいたし、トヨタにちょっとだけ勤めて故郷に帰って整備工場に入る人も大勢いたとのこと。1000人ですよ、1学年が。これまた想像できません。今は出身地の高知に戻っています。15歳でひとりで高知から出てきて、競争を生き残って父親は最後までトヨタに勤めました。立派だと思います」

杉田は専門部の出身で、37歳。

「僕の父親はアイシンでした。僕もまた父親から勧められて、地元の豊田工業高校を出た後、専門部に1年通ったんです。松本さんも僕も多治見サービスセンターに来る前は本社の品質保証部にいました。松本さんは僕の職場先輩です」

松本と杉田が在籍していた品質保証部のミッションは「トヨタの製品とサービスの品質を保証するため、全社の責任・役割分担を明確化し、かつ、それぞれの業務が正しく行われているかを監査し、改良を促進する」ことだ。