「世界初」に白けたルーチンの仕事

國中教授は次のようにも振り返る。

「普通に考えれば、はるか宇宙の彼方で行方不明になった探査機が見つかる、ということはまずありえない。誰もがそう思います。だからこそ、川口さんがすぐに確率を計算したことは確かに大きかったですね。ただ確率が示されて何より重要だったのは、ルーチンの仕事が次々に作られていったことでしょう。例えば電波を送る人、コマンドを作る人、それをビデオに撮って確認する人、見つかった後のプランを作る人、というふうに。目の前にやるべき仕事が生み出されたことで、チーム全体の心が繋ぎとめられたように見えました」

また、吉川准教授は「『はやぶさ』に設定された目的が極めてチャレンジングであること」が、こうした困難に直面した際、各グループ同士の横の連携をスムーズにしたとも付け加える。

イオンエンジンによる地球スウィングバイ、自律航法誘導による小惑星への着陸、サンプル採取と帰還後の分析……。「はやぶさ」は様々な最先端技術の実験の場だった。そして1つの「世界初」は次の「世界初」への条件だった。自らの専門グループが「1番」を目指すために、他の分野の仕事に対しても協力を厭わないのは当たり前のことだった。久保田教授がイオンエンジングループからカードを手渡されたように、そこには受け渡された責任と受け渡す責任があった。彼らはそのなかで自らの研究成果が、自分だけの力では決して得られないことを常に意識し合っていたのだ。

通信が途絶えて以来、「はやぶさ」からの信号を見逃さぬよう、ビデオに撮ったデータを辛抱強く見直す日々が続いた。

「はやぶさ」からの弱い電波が届いたのは46日後のことだ。運用室には歓声が上がり、活気が取り戻された。地球帰還のための作業が急いで行われる。「1ビット」の通信を積み重ねることで「はやぶさ」の状況を解明し、約3カ月後には位置や速度を特定。帰還の予定日を2年遅らせ、地球へ帰還するスケジュールが組み直された。